岐阜県、柳ヶ瀬にある春グループへの入社、そして31歳の時の仙台進出から、これまでの30年間、仕事を通して「現在の自分」に至るまでの波乱万丈の人生とともに、後継者に対する想いを熱く語っていただきました。春・東北の後継予定者は副社長である、高橋 栄一氏です。当初は 「自分の息子に」と、現在店長をしている次男に後継の意思を確かめたところ、「親父の財産はいらない。自分の財産は自分で作り上げる。」と将来独立の意志が固く断念、高橋副社長を後継者と位置づけるまでの経緯についてもお話をいただきました。
中島社長が後継者について考え始めた10年程前、当時の副社長は「独裁者」 とあだ名がつくほどの自己中心主義者で、社員全員の代表から「彼を取るのか、私たち全員を取るのか」と迫られたこともあり、そこから副社長への“共育”の取り組みが始まったそうです。
いつかは気付くだろうと、本を読ませたり、様々なセミナーにも参加させましたが、自社の研修会の中で「“軸”を相手に置く」「“ため”と立場」という分析の中で、「グサッと胸に刺さるものがあった。」「これまでは全て自分中心で、相手に軸を置くなどということは考えもしなかった。」と言われ、そこから顔色、行動が変わりはじめたそうです。彼が 「独裁者」といわれていたときも、「やる気、根性、能力はある。情熱とエネルギーの使い方が間違っているだけだ。」という想いがあり、あとは方向性を間違いのないように導いていくことが自分の役割と考えたそうです。
中島社長は岐阜の時代、本社の会長の“背中”を見て育ってきたといいます。副社長も当時の自分と同じように、中島社長の“背中”を見て、「社長を信じきれるか、自分もそのレベルに達したい」と思えるかどうかが、重要なポイントだと考えたそうです。「トップの“後姿”を見せることが出来る」これが後継者に対する「経営者の第一条件」と位置づけているそうです。
高橋副社長を昇格させるとき、中島社長は「中途半端だけは止めてくれ。儲けるのか、つぶすかのどっちかにしてくれ。君がもし失敗して会社をつぶしても、君の責任は問わない。君を選んだのは私です。だからとことん思い切っていけ。」と伝えたそうです。そして会社に万が一の事があっても、保険で対応ができる体制を作り、店長たちの退職金制度にも保険をかけて、保険金が渡せるシステムを作ったそうです。
中島社長には後継者を見極める際に「3つの条件」があるそうです。
@明るい性格(これは“自然に”情報を集める力を備えている人が多いためです。)
A強い想いの「夢」を持っている人(ドイツの作家シラーも 「夢見る力のない者は、生きる力もない」 と言い切っています。)
B自殺しないタイプ(経営者は必ずこの心境に陥るとき、または経験がある筈です。)
そして、社長自身の体験から、経営者を続けていくためには「何でも話せる・相談にのれる仲間の必要性」を強調し、同友会活動での仲間作りの重要性を強く訴えておりました。
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