第6分科会
設営:政策委員会
組織活性化委員会

自らの手で元気なまちを蘇らせる担い手として
 
〜企業と地域をつなぐ中小企業家の役割〜  

パネラー
(有)ひらの
社長 平野勝洋氏
パネラー
(有)もちっ小屋でん
社長 狩野千萬男氏
パネラー
仙北信用組合
理事長 若林洋一氏
コーディネーター
(株)伸電
社長 原田 誠氏

地域への想い

原田 それでは、 まず最初に自己紹介をお願いします。
若林 私どもは、 登米市・栗原市・気仙沼市を主な営業エリアとして事業展開をする信用組合です。 銀行と違い、 組合ですので、 組合組織として地域貢献を目指しています。 仙台に信用組合がなくなってから5年以上が経ちますが、 私はこれまで仙北信用組合は“地域と共にある”と言っておりました。 しかし最近は“地域の繁栄と共にある”と“繁栄”という言葉を入れています。 まずは、 地域が活性化して人口が増え、 皆さんの商売を応援していかなければどうにもならないと考えるからです。 我々が今、 取り組んでいる仕事は5年、 10年、 いや20年かかるかもしれません。 金融機関として地元の企業を元気にすることもそうですが、 地域全体を活性化させること、 地域の経済を発展させること、 人口の過疎化に歯止めをかけることが必要だとの思いで活動をしています。
狩野 私は、 旧一迫町役場の職員を34年間務めました。 私の妻の実家が餅屋で、 義母達が高齢のため商売をやめたいという相談がありました。 つくっている餅は、 昔懐かしい手作りのしんこ餅、 焼き餅というものです。 今、 私は70歳。 定年3年前の57歳で退職し、 平成6年に有限会社もちっ小屋でんを設立しました。それから約7〜8年、 夢中で過ごしてきた私は、 同友会に入会してすぐに経営指針を創る会 (第16期) で経営指針を創りました。 現在、 社員は12名、 平均年齢が59歳ですから、 おばあちゃん達が働いている職場ということです。 私がこの仕事に入る時に、 心に刻んだ事があります。 それは“地元の米を使う餅屋になろう”ということで、“お米はとっても働き者です”というキャッチフレーズを店に掲げました。 米を米で売るという考え方もありますが、 私は自分の水田でもち米を作り、 もちっ小屋でんが加工して売ります。 つまり、 一次・二次・三次産業の全部をやるという経営をしています。 一迫に生まれて一迫で育ち、 これからもずっと一迫に住んでいくために、 地域に貢献できる社員を育てようという想いを込めて経営指針を創りました。
平野 理容・美容業を営んでいます。 父が昭和25年に創業し、 弟子2人と床屋を始めました。 私は長男ですから、 どこかで“後を継がなければならない”という気持ちがありながら、“小さな範囲でやりたくない。 小さいままで終わらせたくない”という想いで後継しました。 その後、 美容を併設して1988年に法人化し、 現在20期目です。 私の後継者である息子と社員と共に“第2創業”をテーマに位置づけて、 今後は多店舗化を考えています。 現在は理容4店舗、 美容8店舗を展開しています。

地域の現状と自社の課題

原田 まずそれぞれの立場で現状をどう捉えているのか、 地域という一つの切り口をもってお話しください。
若林 現在の景気拡大はいざなぎ景気を完全に抜いたのですが、 しかしどうも好景気とは違う。 地域間格差、 都市と地方あるいは大企業と中小企業の間の格差が非常に大きくなっています。 宮城県内でも一極集中で、 仙台に全部集中してきています。
  中小企業に直接関わる問題としては、 郵貯銀行がいよいよ本格的にスタートします。 国民感情としては 「郵貯は国立と同じだから絶対に潰れないだろう」 と郵貯にお金を預けるようになるでしょう。 すると、 地方の銀行にお金が集まらない、 つまり中小企業に貸すお金が銀行になくなってしまう可能性が出てくるかもしれません。 私は、 これが非常に大きな問題になってくるのではないかと感じています。
  “リレーションシップバンキング (企業と金融機関とのリレーション=関係・間柄を重視した取引)”という言葉を聞いた事があるかと思います。これまでは、 護送船団方式で旧大蔵省が銀行を守ってきましたが、 金融庁は規制緩和と規制強化を同時に行い、 規制緩和の中での監視強化をしたのです。 自己資本比率を前面に出して、 地方銀行であれば4%という規制をつくりました。 この自己資本比率は、 貸せば貸すほど比率は下がるため、 貸しはがしや貸し渋りが起きます。 金融機関に預けたお金を金融機関が地域の中にどの程度投資をするかによって、 地域の企業や経済は発展していくのですが、 監視を強化することは地域の成長を阻害する要因にしかなりえません。
狩野 栗原市は、 少子高齢化が激しく将来は人口が5万人程度になるのではないかという統計もあります。 毎日のように葬儀の案内看板が立ち、 一升餅を食べることが最高の幸せだという暮らしをした人々が、 どんどんこの社会から退場していくという現実は、 私が餅屋を経営していく上での現状認識としては大変なことだと思っています。 いずれコンビニ世代に生きた人々が次の主役になってきます。
  栗原市は10町村の合併で誕生しました。 合併前はドリームプランを掲げいろいろな夢を出し合いましたが、 いざ合併してみるとその目的は財政改革で、 夢がないのが現実です。 それは分断という自立を促す国の政策の一環でもあると捉えなければならないと思います。 やはり自分たちの力で地域を何とかしなければならない、 愚痴ってもしょうがない、 我々中小企業家も地域住民も一緒になって考えていかなければならないのが現状です。
平野 理・美容業界は時流に乗り損ねたように感じています。 業界には未だ徒弟制度の名残があり、 同友会で提唱している労使関係の改善ができていません。 また、 難しく辛い仕事というイメージも強く、 人材不足の業界でもあります。 10年前に同友会に入会し、 9期生として経営指針を創る会を受講しましたが、 今でも“家業から企業に”という言葉が心に響いています。 同友会では、 教育を 「共に育つ」 と書きます。 私たちの業界の教育というのは、 教えるだけではなく“恐育”でした。 4月に入った社員が12月には誰もいなくなるということを繰り返してきましたが、 「共に育つ」 と考えられたことで、 80名の社員と共に今日があるのだと実感しています。

我が社の挑戦

原田 次に、 今、 置かれている内外の非常に厳しい現状を踏まえて、 現在挑戦している実践についてお話しください。
若林 我々は、 ビジネスのパートナーになることからスタートしなければならない。 まず、 企業の情報を集めて 「企業の悩みは我々の悩みです」 と問題点を共有し、 その企業が気付いていない課題を意見交換しながら提示していきます。 金融機関は 「雨が降る時には傘を貸さない」 とよく言われます。 私は、 そういう話をする経営者に 「溺れる者は藁をも掴むというけれども、 藁を掴むから溺れるのだ。 藁を掴まず仙北を掴みなさい」 と話をします。 返せない所に行って 「返せ」 と言っても無理ですから、 返す方法を一緒に考えるというスタイルをとっています。 私は職員に 「不良債権は、 回収不可能になるのではなくて、 回収不能になった時点でそう呼ぶことにしよう」 と言っています。
  金融機関は金融庁の方ばかり見ていて、 お客さんの方を見ていない。 我々は若い人たちをターゲットに 「めざせ大物!」 という商品を出しました。 これは、 大学4年間の在学期間中は無利息で、 卒業後は国民金融公庫よりも安い2.4%の金利です。 勉学の意欲がある子どもたちが、 家庭の経済的事情等で教育のチャンスが失われてしまうことに何とか対応しなければならない。 5年後、 10年後、 彼らが何らかのスキルを身につけて地域に戻ってくる、 戻ってこなくても日本のどこかでそれを地域の発展につなげてくれればいいと考えています。 とにかく、 地域にお金を集める。 これが地域づくりの原点だと思います。 ある地域の銀行は、 小さな支店でも300億円程度のお金を集めて地域に60億円の貸し出しを行っていますが、 我々は集めたお金をほとんどそのまま地域に貸し出しています。 「頑張れふるさと!応援定期」 という商品は、 集めた皆さんのお金を地元の中小企業支援のために使っています。 金融機関は地域づくりにおいても大きな役割があると感じています。
狩野 地元の一迫商業高校が、 文部科学省の補助事業の日本版デュアルシステムに取り組んでいることに、 我が社も協力しています。 11名の生徒が週2回・3ヶ月間、 企業で実践研究をしています。 その中でまず生徒たちと確認しあったことは、 我が社の経営理念です。 “ふるさと讃菓”、 地域の幸で誇りの味をつくることが我が社の経営理念だから、 その理念から外れない商品を発案してほしいとオリエンテーションで述べました。
  早速、 米を活用したものをと生徒にアンケートを取ると、 案の定パンがあげられました。 生徒たちが食べたい、 作りたいものは餅ではありませんでした。 しかし、 餅屋が洋菓子的なものを作るという技術はありません。 そこから社員と共に勉強を始めました。 結果的にはこれが社員共育になったのですが、 大変な困難がありました。 最近、 米粉が入ったパンはどこでも売っているため、 特徴ある商品にはなりません。 そこで社員と相談して、 グルテン・イースト菌・膨張剤を使わず、 卵と寒天とひとめぼれの米粉でやろうと決断したのです。 生徒たちの最初の試作品ができ、 そこから私たちの本当の勉強が始まりました。 形を変えても原料は一迫の米100%です。 生徒たちの作ったものが地域貢献の一つの形になり、 ついに 「美焼 (みやぎ) の心 (しん) こ 米ていら」 という名称で商標登録を取りました。 農業とつながり、 子どもたちの将来とつながり (これがきっかけとなり菓子専門学校に2人、 医療短大に3人が進学)、 我が社ともつながるという形でこの取り組みを育てていきたいと考えています。
平野 我々、 栗原登米地区では、 経営指針創りとその実践に活動の重点を置いています。 その中に社会性があります。 今までは自分だけのことを考えて、 自分だけの利益を追求していた経営者がこの社会性に向き合った時に、 地域が活性化し、 そこに人がいなければ商売は成り立たないとふと気づくのです。 「この地域のために、 一緒に勉強しましょう」 を栗原登米地区の会員増強の基本に据えています。
  我が社では、 業界の常識を破り、 職人として一人前になるためには5年かかるというところを3ヶ月という期間で教育しています。 美容学校等に入り美容師になるまでには、 約500万円程度必要ですが、 我が社では社員が教えるので費用は必要ありません。 3ヶ月の期間はお店で働くのではなく、 徹底した教育訓練をしながら給料も出しています。

企業づくりから地域づくりをめざす

原田 では、 最後に本日のまとめという意味で今後の課題と展望をお話しください。
若林 行政主導の企業誘致は確かに即効性はあります。 でもそろそろ他力本願は止め、 下請け・孫請け体質から脱却しましょう。 旧栗駒町に約200人を雇用していた工場がありましたが、 海外移転で閉鎖され、 200人が失業してしまったのです。 やはり、 地場産業をもっともっと育成しなければならない。 日本経済の99.6%が中小企業ですから、 地域の経済の主役は、 中小企業なのです。 中小企業を育てるような行政と金融機関のあり方、 またそのチームを作って取り組んでいくことが一番大切です。 人が動き、 物が動き、 お金が動き、 また人が動く。 この循環で地域は元気になっていくのです。
狩野 栗原市長にぜひ考えて欲しいと、 私が単独で訴えてきたことがあります。 地域振興会議を立ち上げ、 この地域で働く人々、 中小企業・自営業の方々が活き生きと暮らしていくためにはどうしたらよいかを議論していきたいのです。 我々栗原登米地域の農業を中心としたまちづくり、 地域づくりを展望できる場としてきたいのです。
平野 豊かで住みよい地域づくりを目指し、 皆さんと共に栗原登米地区において同友会運動を続けていきます。 若林さんのお話からヒントを得ています。 “外貨”をいっぱい稼いで地域に戻って来る。 これは私が目指している他店舗化の考え方になります。 我が社のヘアーアカデミー職業訓練校での早期育成システムで、 同業他社の社員を一緒に育てることもできるのではないかと考えています。 渋谷ではなくて、 栗原をヘアーデザインの発信地にしたいです。
原田 元気な町づくりのための地域の資源とは何でしょうか?3人のパネラーのお話しに共通している部分があります。 「ここに生まれて、 育って、 本当に良かった」、 「この町が日本で一番素晴らしい町だ」 と胸を張って言える人たちがそこで生活をしている姿が資源だということです。 松島の景観が資源ではなく、 そこに生きる人々の豊かな生活が資源なのです。 だから私たちは“無いものねだり”をするのではなく、 あるものを探しそれを磨き高めていくこと以外にないのです。 そういう意味で、 中小企業も地域の金融機関も存在基盤が同じだということを確認できました。 それは地域なくして中小企業の存在基盤がない、 つまりそこで生きること、 生活すること、 働くことが同心円で存在するということです。 生きること、 働くこと、 そして人間らしく生きることをどう一つに統合していけるのかが、 地域の豊かさと自社の発展を一致させることになるのではないでしょうか。



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