第4分科会
設営:経営労働委員会

時代の変化をとらえ、 “第2創業”に挑戦する後継者たち
〜21世紀型企業への道は経営指針の作成から〜  

パネラー
(株)八木澤商店
専務 河野通洋氏
パネラー
(株)高野コンクリート
社長 高野 剛氏
パネラー
(有)益田材木店
社長 益田俊道氏
コーディネーター
(有)東日本
専務 阿部奈加子氏

「創る会」 受講のきっかけ

阿部 本日のパネラーは宮城同友会の 「経営指針を創る会 (以下 「創る会」)」 を修了された皆さんです。 まずは受講前の自社の経営や自分のこれまでの生き方などにもふれながら、 順に自己紹介をいただきます。
益田 丸森町で建築用木材の製材や販売をし、 私で三代目になります。 15期生として創る会を受講する前の私は、 何も考えずに売りやすい物や儲かる物だけ売り、 うまくいかないことは他人のせいにするばかりでした。
高野 南三陸町で生コンクリートの製造販売、 別会社で鉄工所・運輸・建設・結婚式場を経営し、 私で四代目です。 16期で創る会を受講する前の私は超ワンマン経営者で、 「創る会」 では、 いいわけばかりの同期受講生に 「ここは甘ったれた後継者の集まりだ」 と憤りを感じていました。 実はわが社は倒産経験があるのですが、 「私の苦労を何もわからない助言者 (先輩修了生) から偉そうなことを言われるのは許せない、 こんなところに来なければよかった」 とも思っていました。
河野 わが社は岩手県陸前高田市で、 味噌、 醤油、 漬物、 醤油加工品製造販売を営み、 私が後を継げば九代目で200年続く企業です。 サラリーマンを経験し、 入社して9年になります。 入社後、 会社が厳しい経営状態にあることを知った私は、 「俺が何とかする」 と父である社長に直談判しました。 銀行折衝や人事権限も与えられ、 経営計画書を作成し、 曲がりなりにも経営改善ができたと有頂天になっていたところで15期 「創る会」 に参加。 計画書は既に持っているという自負もあり、 鼻っ柱の強い姿勢で初日から臨みました。

自分と向き合う中で・・・

阿部 特に印象に残っている受講中のエピソードはありますか?
益田 助言者の問いかけに、 これまで何も考えてこなかった自分に気づかされた私は、 悔しくて泣きながら帰りました。 その夜、 悶々として眠ることもできず、 助言者に反論文を書き続けたのですが、 明け方になる頃こうやってすべてを他人のせいにしてきた自分にはっと気づいたのです。 翌日、 全体会での決意発表を勧められた私は腹を括りました。 すると不思議と楽な気持ちになることができました。
  また 「世間を知らないなら世の中を歩いてみたら」 という助言に、 私は近くの山を歩いてみました。 次第に疲れて言葉数も少なくなり、 何度も途中で帰りたいと思ったのですが、 一緒についてきてくれた妻の前で格好悪い自分を見せたくもない。 そうこう考えているうちに、 水や風の音、 鳥の声、 自然の風景を感じることができました。 頂上で食べたおにぎりからも土や水、 太陽、 農業生産者のエネルギーを感じ、 「祖父や父が皆に生かされ、 そして社員の努力に支えられてきたこの会社を今ここで自分が潰すわけにはいかない」 と決意したのです。
高野 頑なに意見を聞こうとしない私は、 ある助言者から 「高野さん、 あんたいつまでコンクリート頭なんだ」 と喝を入れられました (笑)。 でも 「社員とかかわれ」 という助言はとても心に引っかかりましたので、 翌日早速 「みんなの意見を聞かせてもらいたい」 と社員に語りかけてみました。 ワンマン社長が突然そんなことを言い出したものですから、 社員は相当驚いたことでしょう。 しかしベテランの社員から 「倒産の経験で自信と誇りを失ったのは社長と社長の家族だけではありません。 私たち社員も同じ。 だからこれからも一緒に頑張っていきましょう」 …と。 社員に支えられて今があるのだと改めて社員に感謝したものです。
  ある日、 昔の会社案内に書かれた亡き父の思いを目にし、 15年前の倒産を思い出しました。 その後すぐにおじと父が他界、 私ひとりが30数億円の負債を抱えることになったのです。 心の中で恨んでいた父の思いに触れ、 私は涙が止まりませんでした。 後日、 父である社長との関係に悩む同期受講生に 「何で自分の親父を恨むんだ、 恨むなよ」 と助言をしている自分がいました。 無意識のうちに、 仲間の姿に自分の姿を重ねていたのです。
河野 私も助言者から 「人間性がない」 と言われてしまいました (笑)。 冷静になって考えると、 社員の思いに耳を傾けてこなかった自分に気づきました。 会議も私の独壇場です。 当時の私には人間的な魅力のかけらもなかったと思います。 同期生が社員とかかわりながら経営指針をつくっていくのを横目に、 私は終始一人で一生懸命です。 当然、 発表会ではできているという自負も消え、 まともに発表すらできませんでした。 そんな私に 「諦めるな。 やれるだけのことをやるのが経営者だ」 と同期の仲間が励ましてくれました。
  昨年、 創業以来初の赤字決算となりました。 経営指針に個別方針がなく、 実行責任者は全部経営者、 社員不在の経営指針書が原因です。 「俺ひとりじゃ何もできない。 頼む、 協力してほしい」 と私は社員に頭を下げました。 そして各部門の幹部社員にすべての経理を公開し、 経費の見直しをかけると 「ここは自分たちで修繕したらどうですか?」 など徐々に赤字解消の糸口がみつかりました。 数字だけでなく、 会社の教育方針や運営方針なども各部門から意見があがってくるようになり、 社員が協力してくれるとわかった今では本当の意味で腹が括れ、 自信にもつながりました。

 

地域と共に歩むことを決意

阿部 その後の取り組みと成果はどうですか。
高野 まずは朝礼の改善からと、 できるかぎり私自身が毎日各社をまわるようにしました。 「まずは1年」 と社員と安全や社会貢献についての話し合いを重ねた結果、 経営理念の社会性・人間性は驚くほど社内に浸透することができました。 また、 受講中から経営理念の科学性の弱さを指摘されてきましたが、 社会貢献を考えて実践していくことで、 社会貢献こそ最大の科学性ではないかと考えるようになりました。
河野  「毎月幹部社員研修」 では、 損益計算書や損益分岐点などの数字の勉強から取り組むだけでなく、 「八木澤商店でも、 自分で独立してでもいいから、 経営者になれ」 と常々語っています。 陸前高田は、 新しい仕事と雇用の場を創出しなければ、 仕事を求める若者が他地域へ流出し、 結果的にわれわれの市場もなくなってしまいます。 そこで新卒採用も始めました。 社員から見れば自分の弟や妹、 息子や娘みたいなもので、 みんなで育てようという雰囲気も出てきました。 また、 経営者も業界や地域のリーダーになろうと学んでいます。
益田 30%だった国産材商品の比率を80%まで上げました。 それもできる限り地域材 (丸森または近くの山の木) を利用しています。 国産材を利用すれば、 山の環境を守ることも山の仕事を増やすこともでき、 山の荒廃を防ぐことができるだけでなく、 地域材を利用すれば、 地域内での仕事づくりやお金の循環も可能になります。 また、 移動範囲が狭くなれば、 エネルギーの節約にもつながります。 大手とは違う土俵で、 我々の生きる道を模索しているところです。

わが社の使命とは

阿部 皆さん、 着実に結果を出していますね。 10年後の自社と自分の姿をどう描いていますか。
高野 私は自社だけでなく業界全体をよくするリーダーになりたいと考えています。 生コンの方では、 組合が行政とタイアップし、 防災、 子ども110番などを積極的に行っております。 その後、 気仙沼地域だけでなく県全体でやろうと仙台以北の県北全域に広まりました。 また2006年9月からはじめた地域貢献の取組みとして 「よし風作戦」 があります。 年に3回、 50〜60名の社員が参加し、 道路掃除や老人ホームの落葉拾いを続けています。 それが発展し、 地域の防災も考えるようになりました。 近い将来、 宮城県沖で大規模地震が発生するだろうと言われています。 志津川といえば過去に大きな津波災害に見舞われた地域です。 わが社にできることを考えた結果、 周囲の建物よりも高層な結婚式場には地域の周りの人たちがすぐ駆け込めるよう毛布などを置こうという話になりました。 高台にある鉄工所は、 毛布や発電機を置いて地域が壊滅状態になった時でも誘導を可能に、 生コン工場は軽油も販売しているから、 町のガソリンスタンドが全部水に浸かっても、 自社からローリー車で供給できる、 と次々にアイデアが出ました。 それをもとに高野グループ全体で、 防災担当者会議を開き、 実行しています。 そういうことを続けていくことで、 私たちは地域に必要とされる会社になっていきたいと考えています。
益田 地球温暖化や環境汚染などの問題が叫ばれ、 石油や天然ガスなどの資源が枯渇しつつある現代、 木は唯一人の手による再生可能な資源だと思います。 だからこそ廃材 (木の皮や背板) を100%再利用できる循環型システムを構築していたいと考えています。 資源を守りながら問題に対応していくためにも 「木プラスアルファ」 を考えなければなりません。 また、 地域に住む人、 地域を訪れた人が集える古民家風の建物を作り、 ホールや作業場は地域の集会場として、 また木を使った物の製作体験などを通じて、 木の良さや山の大切さを発信できる建物にしたいと思っています。
河野 現在、 地元の小・中学校の生徒と一緒に米、 豆、 自根きゅうりを育て、 社員が先生となり、 味噌や豆腐を作っています。 すると子どもたちの感想文から、 社員が子どもたちに 「いろんな犠牲の上で自分たちが口にするものが成り立っているのだ」 と命の大切さを教えていることが伝わってきたのです。 こういう人材を育てていくのも経営者の仕事だと思います。 また、 地域の農家が減少すると、 うちの商品は作れませんし、 八木澤商店で味噌や醤油や漬物を作りたいと思う子どもがいないと会社はなくなるんです。 当社が 「食育」 に取り組む理由はそこにあります。 学校給食の栄養士や先生を招いてのセミナー開催、 栄養士や調理師の免許を取りたい社員を積極的に応援するのも同様の理由です。
  私は、 若者の減少に伴い地域に元気がなくなってきている陸前高田を 「食の魅力がある町」 にしたいと考えています。 「味噌汁の詩」 で知られる千昌夫の出身地にちなんで、 味噌汁コンテストも行いましたが、 それだけでは独自産業の育成にはつながらないと考え、 自社で畑を作り、 面積も年々増やすことで 「地産地消」 にも取り組んできました。 部門としてはまだ採算は合いませんが、 自分たちで土から作り、 獲れた農産物を加工して付加価値をつけた漬物や味噌でお客様に喜んでもらえたらうれしいですね。
  また小さな町にもかかわらず、 味噌・醤油・醸造業が4社ありますので、 醸造業にかかわる者としてしっかりと醸造文化や微生物の科学性などを学んでいかなければならないと思います。 20年後に世界から研究者が集まる酵母学会を陸前高田で開催し、 醸造の科学を追究したわれわれの仲間の技術者から学会の発表ができる人材を育成することが夢です。 食育にも文化的な交流にも取り組めば、 たとえ地域を離れてもここで育った子どもたちが自分たちの町を誇りに思うはずです。 そうすれば間違いなく交流人口も増えます。 たとえ高齢化がすすんでも、 誇り高く、 明るく楽しく過ごせる町にしよう、 八木澤商店がその礎になろうと社員と夢物語を共有しながら大風呂敷を広げております。
阿部 私も二代目ですが、 やはり先代が偉大だと後継者は苦労し、 創業者と違う苦しみも体験します。 しかし今日の皆さんのお話から、 トップが変われば会社が変わるのだということを改めて実感できました。 パネラーそれぞれに 「地域」 というキーワードで素晴らしい未来も見えています。 仲間とかかわりあいながら同友会で勉強し続けることは、 経営者の自問自答の場でもあります。 宮城同友会の 「創る会」 はこれまで約200社の受講企業があります。 すべての会員の方が経営指針を成文化し、 社員や仲間と一緒に実践し、 経営理念に命を吹き込んで頂きたいと思います。




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