第2分科会
設営:農業部会
「挑戦と改革」 を 社員共育で実践して
〜社員が自ら学ぶ社風づくりをどうすすめるか〜
 

(株)テキサス 社長 落合 洋氏 (北海道同友会)
    

創業当時のこと

 私は以前、 パンメーカーに15年間在籍し、 札幌と旭川の工場の立ち上げをさせていただきました。 この会社での経験が現在の私の土台になっていて、 今でも社長と専務とお付き合いをさせていただいています。 工場立ち上げのご褒美に、 ハワイの大学へ留学させていただき、 製造やイースト菌の勉強をさせてもらいました。 そこで出会ったのが現在携わる 「食肉市場」 で、 現地で食べたステーキがとても美味しかったのを覚えています。 その後、 別の会社に3年ほど勤め、 経理の勉強をさせてもらいました。
  そして、 昭和54年の4月に自宅の横に80坪の焼き肉レストラン 「ウエスタン」 1号店をオープンしました。 当時バイキングのシステムが流行っていて 「1000円で食べ放題」 で売り出したところ大繁盛しました。
  ところがこの大繁盛が勘違いの原因になり挫折するわけです。 日銭で毎日40〜50万のお金が入ってくると人間は必ず狂ってしまいます。 「マスター」 や 「社長」 と呼ばれて驕りの気持ちが積み重なっていきました。 「年末は忘年会などで繁盛する」 と思い、 銀行から借り入れをして調理場を拡張しましたが、 家族向けのわが店は全然お客さんが来ない。 売り上げが激減し、 残金がないのに小切手を切るなどむちゃくちゃなことをやって金策に走り回りました。 年明け2日から営業開始なので、 とにかく従業員にお金を払うために正月から家内と二人で仕込みをしていました。 「年明けに果たしてお客さんが来るのだろうか?」 と不安で仕方がありませんでした。
  そのとき、 たまたま友人がマイクロバスを1台貸してくれて、 地方紙の十勝毎日新聞に 「無料送迎いたします」 という広告を出したところ大成功。 徐々にお客さんも増えて1日に何往復もしながら、 売り上げを持って毎朝銀行へ通って何とかその年を切り抜けることができました。 この創業1年目の経営危機が今の会社の存続につながっています。
  3年目に二号店を出店しました。 仕入原価の問題を解決するために食肉小売業に参入して設立したのが 「(株)テキサス」 です。 ところが現実は厳しく赤字を出してしまいました。 そこで、 工場に発泡スチロールと段ボールを敷いて防寒対策をして、 1年間寝泊まりしながら徹底的に食肉の勉強をしました。 その結果、 2年目に72万円の利益を出すことができ、 それからはずみがついていきました。

様々な規制に挑戦して

 4年目くらいには売り上げも上がり始め、 食肉のスケールメリットが出てきたので、 次はお米を売ろうと思いましたが、 当時は厳しい食糧管理法下で制限されていたので簡単に売ることができません。 そのときふとした縁でお米屋さんと知り合い、 店に出さずに低価格でお米を売ったら大好評で40分のうちに売り切れました。 ところが2週間経ったころ 「お米を違法に売っている」 とクレームがつき店頭での販売を自粛せざるを得ませんでした。
  そのとき、 そのお米屋さんのアイデアで、 中に発泡資材が入った見本用の米袋を店の入り口にたくさん積み上げて、 来るお客さんに注文書を配り、 注文を駐車場に駐車しているトラックに無線で連絡し、 駐車場で売るようにしました。 このお米屋さんからモノを売るための努力の凄さを教わりました。 半年ほど経って行政は許可を出してくれました。
  次にお酒を展開したいと思いましたが、 なかなか許可が下りません。 20坪のプレハブ店舗を建てて掛け合い続けましたが、 許可が下りたのは12月半ばで年末商戦には間に合いませんでした。 3ヶ月くらいやってみましたがさっぱり売れません。 全国のディスカウントストアを見て歩いているうちに、 20坪では業界につぶされてしまうと思いました。 そこで銀行に相談して200坪の店舗を建てました。 それでもなかなか売れないので、 少しずつ安くしたらお客さんが増え始めました。 ところがその後に市内の7つの問屋から取引中止の電話が入りました。 札幌の問屋も卸してくれません。 そのとき滝川という町で小規模で商売をしている方がいて、 頼み込んだところ卸してくれることになりました。 その後地元の新聞にお酒のディスカウント広告を大きく載せたところお客様が殺到して何とか経営を続けることができました。

お客様の声に真摯に向き合う

  毎週火曜日、 昼から2時間ほど 「“お客様の声”会議」 を開いています。 データとして3万2千件くらいのお客様の声の中のクレーム率とその内容、 店長の姿勢と売り上げは必ずリンクします。 また、 メニューや接客力などのデータを分析すると、 店長の指導力不足や厨房長の力量が表れます。 つまり、 お客さんの目はわれわれ以上に厳しく、 提供してくれる情報は素晴らしいものがあるわけで、 社員教育もこうしたことをもとに行えるのです。 クレームは時間をかけずに即日対応です。 大概お客様は謝罪に伺うとあたたかい言葉をかけてくれます。 以前、 マイナス32度が1週間も続く日本一寒いといわれる陸別町というところへ、 1時間以上かけて謝罪に行ったことがあります。 そこではご飯もご馳走になってクレームから固定客になっていただきました。 こうした取り組みで永久のお客を掴むこともできるわけで、 経営において大きなウエイトを占めていると思います。 実際にわが社でもクレーム対応に関しては経営計画書の中で3ページ割いています。

社員に学ぶ
 
  基本的な企業の在り方としてわが社では 「全社員が物心両面で豊かになること」 を目指しています。 女性をどんどん活用していて、 パート社員から社員や役員にも登用するという道を作っています。 「男子社員でも女子社員でも関係なし」 という社風をつくるには3年くらいかかりましたが、 現在は店長職や管理職でも女性が活躍しています。 行動指針などもたくさんありますが、 社訓は 「すぐやる・必ずやる・できるまでやる」 のみです。
  身体に障がいを持っている方々もかなり登用しています。 健常者のわがまま加減にはあきれますが、 この方々は人に感謝する度合いが全く違っていて、 われわれが学ぶべきことはたくさんあります。 焼肉プレート洗いの仕事をするA君はチェーンの会社から解雇されたばかりですが、 仕事がきれいで手抜きをしません。 店長が慌てて来たので 「どうしたのか?」 と尋ねると、 一生懸命仕事をして洗剤で肌が負けて爪が剥がれているということだったので、 すぐに病院へ行かせました。 帯広はひと晩で90pも雪が積もります。 健常者は 「車庫から車が出ない」 とか 「幹線道路に出られない」 とか理由をつけて電話をよこしますが、 A君は事務所の前に朝9時には立っていました。 聞くと 「3本早いバスに乗ってきた」 と言いました。 彼は必ず自分が帰るときに事務所や駐車場をぐるっと回って、 私に挨拶をしに来てくれます。 毎朝彼を送ってくる車があるので 「誰?」 と聞いたら、 建築会社の現場監督で、 出勤時間になったら必ず家に迎えに来てくれるそうです。 きっと彼の人間性がその方を 「送りたい」 という気持ちにさせてしまうのだと思います。
  知的障がいのある方々にも10年くらい食肉を切る仕事で活躍してもらっています。 ドイツの地方のハムソーセージ会社に視察に行ったら、 知的障がいの方がたくさん働いていて、 「採用は当たり前」 と言っていました。 日本は経済大国ですが、 こうした取り組みは後進国だと思いました。 日常的に私も彼らには声をかけて励ましています。 真面目で一点の曇りもない彼らのような障がいのある方々も、 これからも企業が拡大するたびに少しずつ採用していくつもりですし、 後継者にもその意味を伝えています。

5S運動と環境への取り組み
 
  現在、 5S (整理・整頓・清掃・清潔・躾) のプロジェクトチームを作って、 パート社員も管理職も他の職場や店舗に行って指摘し合うようにしています。 机の上に余計なものを乗せない、 パソコンのスイッチを切る、 駐車場のゴミを拾うといった基本的なことも最近だいぶ身についてきました。 身だしなみに関しては、 マニキュアやピアスは禁止で、 茶髪も制限しています。 それを本当はやりたいような女子社員から出てくる規則なので、 私としてはとても助かっています。 これを発展させて1月から改善チームをスタートし 「改善について本当に無駄がないか?」 ということも話し合っていく予定です。
  環境問題に取り組み始めたのは、 社内からゴミをなくそうと思ったからです。 友人である帯広畜産大学の教授に、 食品残渣物の堆肥化の話をもちかけていろんなことをやってみて、 最終的に菌を自分たちで作って、 現在は帯広の生ゴミを自社処理しています。 企業の社会的責任として、 今後も環境分野に利益を注ぎ込もうと思っています。 また、 農業法人も設立し、 後継者のいない高齢者の方々から宅地や山林を譲り受けて、 自社の堆肥で除草剤ゼロで作物を作っています。 今年トウモロコシは11万本収穫しましたが、 夏は売らずに冷凍庫で皮付きのまま貯蔵します。 2時間以内に急速冷凍をかけて、 冬に出して食べるととても美味しいのです。 このトウモロコシを冬に150円で売らせてもらっていて、 3年目になりますがお客様にも好評です。 また、 天ぷら油を回収して、 ビニールハウスの廃油ボイラーとバイオディーゼルに使っています。 わが社では新車を一台も持っていません。 リフトだけは作業車なので事故のないように新車を買いますが、 一切他は新車を買わないようにしています。 「リサイクル」 というよりも、 企業は社会の中で活かされているのだから、 社会に責任を果たしていこうという気持ちで取り組んでいます。 最終的には小売部門とレストラン部門に青果物を供給していけるように耕作を進めていきたいと思っています。




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