第1分科会
設営:社員共育委員会
幹部の育成で、 全社一丸の企業風土づくり
〜学んで成長する集団をめざして〜
 

ダイヤ工業(株) 社長 松尾正男氏 (岡山同友会)

私どもはコルセット、 サポーターなどの医療用品メーカーです。 接骨院・柔道整復師への通信販売が主体で (わが社では 「通心」 販売と言っております)、 お客様の声を直接お伺いできるのが強みです。 全国で約35,000軒の接骨院があり、 その市場を100億円と想定しております。

若手社員を幹部として登用

 1996年、 私は事業継承し社長に就任しました。 ところがその翌年に、 私が入社して以来初の減収減益となりました。 原因は、 外的環境の変化として健康保険法の改正で医療費の本人負担が2割に増えたことです。 もう一つは低価格路線の同業者の出現です。 接骨院からの支持が変化したという兆候があったにも関わらず、 今までの業績に安住していました。 社内に危機感が足りなかったのですね。
  当時のわが社は社員数26名で、 その中に若手の男性社員が4名 (31歳・28歳・26歳・22歳) おりました。 この4人はそれぞれの部門でリーダーを務めていました。 二代目としての私が打てる手は、 この4人の力を借りることであり、 彼らに 「力を貸してほしい。 君たちを幹部にしたい」 と話をしました。
  しかし彼らにとってみれば、 単なる肩書きだけでは 「幹部」 としての実感がありません。 また、 当時のわが社には経営指針も何もないので会社の指示に従うしかなく、 将来に不安も感じていたのでしょう。 幹部にするという話だけでは、 彼らはやる気になりません。 そこで彼らに部下をつけると約束しました。 22歳の社員もいますので、 中途採用ではなく新卒採用に踏み切ることにしたのです。

新卒採用で社内改革

 同友会の 『共同求人』 活動に先輩経営者の助言を受けながら参加するわけですが、 これがダイヤ工業にとって大きな変革のきっかけとなります。 会社案内パンフレットを初めて作ったこと。 合同企業説明会で幹部が学生に一生懸命に説明することによって、 幹部自身が自社の良さを発見したこと。 学生たちが会社訪問に来たとき、 地域の人から 「おたくも新卒学生を採用するような会社になったか」 と見られたこと。 そして社員たちが 「うちもこういう若い人が受けに来るような会社になったのだ」 と意識が変わったこと。 その姿に私自身も感動したものです。
  若い人がわが社に将来を託して入社してくるわけです。 社内に受け入れ体制をつくる必要がありました。 それまでは社員教育とは無縁で、 個人の力量に任せっぱなしの状態だったからです。 同友会に 『幹部社員大学 (※社長と幹部が同じテーマで学びあう講座。 現在は社員共育大学と名称を変更)』 があると聞き、 4人の幹部と一緒に参加しました。
  その場で彼らが堂々と意見を言ったり、 議論の進行係を務めたりする姿を見て、 驚きました。 そして今まで私は上下関係でしか社員を見ていないことに気づきました。 幹部たちは私にはないものをたくさん持っているのだと、 彼らを一人の人間として見るようになりました。 4人にとってもさまざまな業種の人と話をして、 客観的に自社を見ることができたのが良かったようです。
  そこで書かれたレポートには、 彼らから会社に対して痛烈な言葉がありました。 「トップから与えられた目標でなく、 自分たちで考え納得した目標がほしい」 「中長期的な目標がなく、 日々の仕事に追われている」 …こういう声は日常会話にはなかなか出てこない。 レポートにすることで幹部たちは本当に思っていたことを出せたのだと思います。

社員が夢を語り出す

  『幹部社員大学』 で 「実践すべき目標が明確でない」 ということが分かりましたので、 その目標を一緒に作ろうじゃないかとなりました。 それで1999年、 同友会の 『経営指針成文化セミナー』 に参加します。 セミナー受講期間中、 私は終業後に幹部たちと 「将来どんな会社にしたい?」 という話し合いをしました。 私は社長として思いを強く持っていますが、 社員とそういう話をしたことはありませんでした。
  社員はどうなのだろうか?…年収1000万円はほしい・年商100億円くらいの会社にしたい・世界に通用するメーカーになりたい…など、 夢がたくさん出されました。 そして夢を少しずつ形にしていこうと、 日を重ねるごとに話されるようになっていきました。 社員たちは、 自分たちの将来を自分たちで考えられることが嬉しかったのだろうと思います。 話し合いは夜遅くまで、 ときには休日も出てきて議論したりする。 自らが立てた目標に自ら努力して近づこうとしたのでしょう。 休日出勤や時間外出勤は社員に禁句だと思っていましたので、 意欲的に話し合い、 どうしたら目標を達成できるかを話し合っている姿は、 私にとっては夢のようでした。 経営指針成文化の取り組みは、 私自身も経営者として揺るぎない目的を腹に据えることができました。

全体観をもった組織
〜バリアフリー型の組織〜

 2000年、 初めての経営指針発表会を行いました。 こういうことを一番求めていたのは社員だったのだと改めて感じました。 心底ひとつになれたような気がしました。
  そうして2000年〜現在まで、 私どもは経営指針にもとづいた体質改善と社内整備を駆け足で進めてきました。 21世紀に変わるここが変わりどきだという気持ちが、 私にも幹部にもあったのです。 共同求人で採用した若手社員たちもよく活躍してくれました。 県の経営革新企業の認定や、 2006年度岡山県経営革新大賞の受賞も、 そのおかげでいただけたのだと思います。
  一方で、 幹部のうち1人が限界と責任を感じて退職するという経験もしました。 一緒に作ったはずの目標がプレッシャーになってしまったのです。 目標の達成度を確認するだけではだめで、 達成するためのやり方に悩んでいる時は関わることが大切だったのです。 任せることと放任は違うことをそのとき実感しました。 悩みを一緒に解決してやれずに彼を孤独にしてしまったことは、 大変申し訳なく思います。
  常に経営理念に立ち返り 「過去の延長線上でのものの考え方や行動では通じない」 という考えを共有し、 「自分の部署や担当のことだけを考えるのではなく、 全体観を持って目標を実現する組織」 をつくりたいと考えました。
  そこで、 組織戦略の第一にバリアフリー型組織づくりを掲げ、 部門を超えた委員会 (プロジェクトチーム) を3つ設けました。 @組織人事制度改革委員会 (社員が成長し、 業績も向上する人事制度を考える) A組織活性化委員会 (イキイキと明るく楽しく働ける職場づくりを考える) B生産効率改善委員会 (自社開発品の比率をいかに上げるか考える)
  各部門から4名ずつ委員を出してもらい、 会社全体の課題について話し合っています。 社員の視点や意欲が少しずつ変わってきたという手ごたえを感じます。 その努力を何とか成果に結び付けてあげたいと思っています。

独自性にこだわる

 世間では景気回復と言われていますが、 私たちの業界を見れば、 規制緩和と柔道整復師専門学校が増えたことで新卒が毎年約5000人ずつ誕生し、 接骨院が毎年一割ずつ増えて淘汰に入っていくと考えられます。
  わが社も一昨年まで5年間、 売上げ2ケタ増を連続していたのですが、 昨年は2ケタを下回りました。 今までとは違うのだと言われているのだと思います。 コルセットやサポーターを単に提供するだけでなく、 接骨院と共に患者さんの役に立つ、 「この接骨院に行けば、 この製品が手に入る」 という製品やサービスを作っていく必要があるということです。 価格ではなく品質の良さで勝負し、 存在価値のある会社になっていかなければなりません。 製品の医学的根拠 (エビデンス) を実証できることも必要です。 ですから、 直接に声をお伺いできる強みを生かして、 自社開発や独自性ということにはこだわり続けます。
  例えばコルセットは生ゴム製が主流です。 生ゴムは弾力性に富んでいるのですが、 相当強く力を入れないと締まらないので、 高齢者や女性にはつらいのです。 滑車の構造を利用すると、 半分以下の力で締めることができる。 私どものものづくりはこういうことです。 さらには個別対応、 オーダーメイドまで手がけられるようになろうと考えています。

誇りに思える職場は、自主性から生まれる

 任せることで、 周りに相談しながら自ら物事を決めていく社風ができてきたように思います。 社員は活躍する場があれば自主的に行動し、 機会を与えれば自ら成長していきます。 そのための出番を作ってあげることが経営者の仕事だと感じています。
  わが社の現在の平均年齢は28.5歳と若い集団です。 社員共育大学の受講者も今では30名になり (社員の6割)、 会社の主力になってくれています。 これからいかようにもできるし、 2010年までのビジョンに向けてもっと面白い会社になるのではと私も楽しみにしています。 お客様・社員・私自身も 「この会社があって良かった」 「自分はこの会社だから働いている」 と言える会社、 みんなが誇りに思える会社づくりに、 今後も努力を続けてまいります。




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