「教育」 とは、 自ら学ぶ 「学習権」 の一部である
〜 第9期同友会大学のレポートから 〜

「単元V 人間と教育」 から、 気づきと問題提起が込められたレポートの一部を紹介します。
    

  「『お互いの違いを大切にし、 自分は不完全だと認識できれば、 相手を受け入れることができる』 ものすごい衝撃を受けた言葉でした。 今まで他の人と同じじゃないとおかしく思われるのではないかと考えていたので、 今までが間違いだったと考えさせられました。 そして、 自ら変わることができれば周囲の人たちも変わっていくということがわかりました。」 (社員)
  ある受講生は自ら学ぶ権利ということに対して鮮やかな問題提起をしています。
  「基本的人権がどういうことなのか、 深く考えたことはありませんでした。 生まれながらに有する権利 (=基本的人権) であり、 「生まれながらに」 は命の特徴を表わしているということでした。 命の特長は、 @違うということ。 同じものは存在しない。 違いを認めあうことが必要であるということです。 A自ら変わる (生命体) +その気になれば変わるということです。 生まれたから死ぬまで選択をし、 変わりながら生命を維持しています。 B命は関わりあいの中に存在する。 命というものは何千年そしていくつもの命をつくりだしながら、 今の私があるのだと感じました。 いじめの問題も、 子どもに求めるのではなく、 大人が変わることが必要であるとおっしゃいました。 これは、 すべてのことに言えるのではないかと思います。 何かを変えたいという場合、 自ら変わるという命の特性を十分活用すべきではないかと思います。
  『学習権』 のお話を聞いて、 私たちは大きな間違いをしていたのだと思いました。 『教育』 の中に 『学習権』 というものがあると思っていました。 しかし、 自ら変わるために学習するのであり、 その 『学習を助けることが教育』 であるということでした。 この誤解が現在の教育の問題を引き起こしているのではないかと思いました。 学習は与えられるものではなく、 自らの要求からするものです。 そのように学習は生きるために大変重要であり、 基本的人権のひとつとして、 私たち一人ひとりがもっと考えていかなければならないと実感しました。 (社員)
  「教育の中に 『学習権』 があるのではなく、 文化を学ぶ権利が 「学習権」 であり、 それを介添えする事の一部が 『教育』 であるということ。 江戸時代までは、 『学問』 といい、 それ以降 『教育』 というようになったが、 そもそも学問とは自ら学ぶこと、 教育とは相手に教えてもらうこと。」 (経営者)
※ 「ユネスコ学習権宣言」 (1985年) = 「学習権なくして、 人間的発達はあり得ない。 学習活動はあらゆる教育活動の中心に位置付けられ、 人々を成りゆき任せの客体から、 自らの歴史をつくる主体に変えてゆくものである。」 (抜粋) と宣言している。




■第9期同友会大学より

 

■第9期同友会大学のレポートから

■第17期経営指針を創る会

 

■岩沼亘理地区のミニ例会シリーズ
■2006全国共同求人交流会より
卒業生実践報告
  ■2007 新春講演会
■中同協発行書籍紹介E   ■2008 共同求人参加企業募集