No.211(2009年1月号)

どうゆう みやぎ

宮城県中小企業家同友会
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発行日/毎月1日発行

第11期 同友会大学 公開講座

共に生き 共に育ちあう〜命の絆を〜


東京大学 名誉教授 大田 堯氏

 同友会大学の1期から講座をお引き受けいただいている大田先生は、今年で90歳になります。一度、講演活動などから身を引きましたが、教育や子供をめぐる状況や人間社会全体に危機を感じ、活動を再開されました。同友会大学では無理を押して継続していただいておりますが、今期は受講生のみならず、一般の方にもおいでいただき「公開講座」として10月23日(木)に実施致しました。その講座内容を抜粋してお届けいたします。

人間社会の受け皿

 私は「教育によって人間を変えれば社会も良くなる」という単純な思いで「教育」という研究を選びましたが少し見当違いであることがわかってきました。
 ブラックマンデーという言葉がアメリカでは使われています。1929年に起こった大恐慌はわが国にも大変な影響を与え、私が11歳の時、父の会社が倒産し、屋敷を手放すことになり、教師になったばかりの兄と姉が住んでいる大阪の家で暮らすことになりました。そこは大変貧しい地域だったと記憶していますが、隣近所の関係はとても密接でした。
 1929年の大恐慌の時には、人間同士の関係が非常に密度の濃い関係でお互いが助け合うという雰囲気がありました。しかし今の社会は皆孤独で自己中心です。それが現代社会の人間関係の受け皿です。
 現在のわが国の人間関係で、大恐慌や自然災害が起こったときに、それに耐え抜くだけの人間関係があるでしょうか。人間関係がどうあるかという観点から、平成の大恐慌の状態や社会の状態を見つめることが大切だと思います。

心に迫る人間関係

 阪神大震災の時に、長田町という一番被害を受けた地域があり、そこは人間関係の密度の濃い地域でありました。そこに私の知人のクリニクラウンという道化師が、ボランティアとして復興の手助けをしていました。彼の働く姿に人々からは敬意を表されていました。そして最後のお別れのときに「最後に道化をお見せします」といいお別れの集会をもったそうです。まさに泣き笑い。道化に笑いながら別れの悲しみで、涙、涙の感動を呼びました。
 「涙」と「笑い」は心の底から出てきます。彼はこれを機会に現在も病気の子供のため、「治療道化師」の会を作っています。悲しみの中でも潤いを与えるというボランティアの役割と昔ながらの人間関係が、あの災害を乗り越えさせたのだろうと思います。
 しかし現代社会はそんなに生易しいものではないことも事実です。共に生き、共に育つ人間関係が今の社会の中で我々の努力によって地道に積み重ねれば、これからの様々な危機に対しても耐えうることができるはずです。

共に生き共に育つ

 今年の初めに香川県の古い伝統を守っている小さなかまぼこやさんに行ってきました。障がい者や70歳になる社員の個性や特徴を活かしながら、4代目の社長さんは、添加物は使用せず昔の味を引き出すことに一生懸命です。魚に関しては社長自らが朝4時に市場へ向かい、「この魚なら味を引き出せる」というものを選んでいます。
 そして「あそこのかまぼこはおいしい」と評判になり、お客さんがお客さんを呼んでくる動きも出ています。この商売の方法を中学校で話したところ、感想文の中に「うちは肉屋で、肉屋になるのはいやだったけど○○さんの話しを聞いて肉屋になろうという気持ちになった」という感動的な記録もあります。ごく普通の姿の中から共に生き、共に育つという生き方が現れているわけです。このように自分たち独自の取り組みを若者たちに伝えることで「おれたちのやっていることはこんなに感動を呼ぶことなのか」と逆に励まされる状況にもなります。

一人ひとりの違いを認めることから

 我々は騒乱状況の中で自己の命は守ります。一人ひとりが孤独であると同時に自己中心です。これは本能的な人間の姿であり生命にとっての本質的なものです。自己欲望的な悪い面を持っている半面、「自由」は非常に深いところにあることを、生物的事実として受け入れることが重要だと思います。
 あらゆる生き物は生命を食べ、人間には家庭があり、人間関係があり会社がある。そうゆう関わり合い中でしか生きられません。しかしそうすると矛盾がおこります。一方では他方との関わりがないと生きられない中で、人間は自己中心と他者との関係の間を選びながら生きているのです。つまり大きな群れの中を選択し生きていくことが人生であると思います。
 人は1人ひとりいろいろな考え方があって、「自己中心」と「共に生きる」歴史が繰り返されたと思います。今はまさに自己中心に生きるほうに社会の力点が置かれていることが事実です。
 ここ10年間で自殺者は3万を切ることはありません。そのような状態から、少しずつ共生に強調点を置かなければいけません。ボランティア活動もその一部だと思います。
 敗戦後、人々は血縁社会に帰っていきました。全部疎開して、血縁と地縁を頼ったのです。今やその血縁や地縁が弱まっています。離婚や家庭崩壊も見られます。そういう人間の状態の中では、自然災害が起こり、戦争が起こる可能性があります。人間関係の密度を濃くして「共に生きる」力量を蓄えることが、一番具体的でしっかりした、自分たちを守り合う方法ではないかと思います。
 国民の約束事として「憲法」があります。アメリカのチームが1945年、「憲法の草案」を作りました。このとき参考にしたのが国連憲章です。二つの大きな戦争によって人類はこの上ない悲劇的な状況を作りました。この時「繰り返してはならない」「次の世代に申し送ってはいけない」と決議を行い「個人の尊厳と基本的人権」そして「平和」を原理とする国連を作り、過ちを二度と犯さないという憲章が出来上がりました。
 ユネスコ憲章では「戦争は人の心の中から出るものであり、人々の心の中に平和のとりでを作らなければならない」といっています。この精神がアメリカに影響を与えないわけがありませんでした。
 わが国の憲法草案は、国連憲章とユネスコ憲章の中でできたものです。2千万人という犠牲者を出した戦争の原動力になった日本が、世界に向かって発した公約であるという世界的スケールの宣言です。
 この中にある基本的人権、個人の尊厳、平和という鍵になるような考え方が盛り込まれて、日本国憲法が成立したのです。
 そこで、地球規模での合意を根城として、個人の尊厳とは何か、基本的人権とは何かを掘り下げて「命の絆」を作り出すためのヒントを考えていきたいと思います。
 命の特徴は良い悪いではなく、全ての命は顔かたちが違っているように「一つ一つの命はみな違う」ということです。一卵性双生児だけはDNAは同じですが、それ以外の人間はDNA構成が違っています。なぜ生命は違うようにできているのか、科学的説明はできませんが推測はできます。もし全部が同じだったら、温度の急激な変化で一度に全滅をしたり、天変地異や伝染病によってやられてしまいますが、多様化していると防げます。
 あらゆる動物は種を持続させるために違うDNA構成を持って生まれてくるように作られています。病気や障がい者や年寄りであろうが、生きている限り種を支えているのです。
 共に育つ。大きな「自己中心」と「共生のぶれ」の間を複雑に生きている人間にはさまざまな様相と役割があるのではないでしょうか。みんなが平等な価値を持つということを認めるということが基本的人権なのです。

生命の特徴

 男性と女性の接合によって受精卵が出来ます。これがどんどん分裂をしていく過程で栄養も作り出していることが最近の研究でわかりました。また、羊水も胎児から分泌され胎児もそれに協力する形で胎盤ができます。
 そしてもっとも大事なのは、母の血液と胎児の血液は、絶対に交わらないようにできているということです。もし違う血が混じったら、遺伝子が違うので免疫に異常が起こります。生まれてくる子供は血を受けているのではなく次の世代を受け継いでいく違った命なのです。しかし、親が介護し乳を与えなければ生きていけないということが遺伝子の中に組み込まれているから守るわけです。そういう意味で子供は間違いなくお母さんのものですが、同時に未来を担う第3者であると考えた場合、障がい者に対しては社会的な保護や保障をするようにしなければいけません。
 子供についても私物化せずに明らかに違う存在だと認めることが重要で一つ一つの違いを認めることが基本的人権を尊重することだといいましたが、夫婦の間でも意見が思い通りにならないと機嫌が悪くなる。これは憲法違反なのです。(笑)
 憲法24条に「結婚は男女両性の合意にのみ成立し、夫婦は同等の権利を有することを基本とし、相互の協力をもって維持されなければならない」とあります。
 夫婦関係、親子関係、教師と子供、基本的に人権を理解するのは同等の権利を有するところまで理解しないと自分のものにはなりません。われわれのごく身近なところに、人間の尊厳を尊重しあうこと、個人の人権を尊重しあうこと、社長と社員のかかわり、教育、そういう関係の中に基本的人権の主張が、ワンクッションおいてかかわりを持つことによって新しい命の絆を作るひとつのヒントが得られるのではないでしょうか。

変化し続ける生命

 そして「命」というものは自ら変わるということです。空気の中の様々な成分の中から必要な酸素を吸収し燃料にして動いています
 栄養も同じで、いろんなものを食べて、選んで吸収しそして排除をくり返し、毎日の体は変わっています。細胞の位置は大体同じですが構成するものが変化しているのです。
 「命」というものは流れる川だと思ってください。常に入れ替えをしているのですが変わらない。これが生命体の特徴です。
 人間の特徴は、文化の中に住み情報の中で生きているということです。常に新たな情報を受け止め自分流儀に理解をして受け止めるということをやっています。幼いころからいろんな情報を取捨しながら自分の常識を維持しており、体と同じような状況が脳の中で展開しているといえます。
 そこで大事なのは学習です。赤ちゃんの頃から絵本やテレビに反応をしたり、情報を自分流儀に獲得し、自分の人格をつくるという仕組みを重ねていくことで、傾向性や人格を持ち続けていくことが人間の姿だと思います。
 ところで、「教育」という言葉ではなく「学習」という言葉を使いました。教え育つほうの教育は学習を助けるためにあり、みんな学習能力を持っています。
 誰もが赤ちゃんのころから学習能力を持っているから生きていけるのです。これは生存権のひとつです。学習がなかったら人間存在はないのです。だから学習しそれを助け教わらないと学習に実りがないから、教育は非常に大切なのですが、しかし教育によって変わるのではなく、その人の「学習能力」によってその人が変わるのです。
 「学習」といったら教育活動、学校の中で行われるものの一部と思っている人が多いと思いますがそうではありません。学習というのはみんなにあって、その学習能力を助けていくことが教育で、非常に重要な仕事なのです。
 太陽系を思い浮かべてください。太陽が真ん中にあります。その周りをいろいろな惑星が回っています。その太陽のところへ学習を置いてください。「学習権」を中心において、それを助ける一番身近なところに家族があります。その次に幼稚園や保育園が回っていて、次に学校という教える場所がある。最後には社会教育がある。さらに言えば、一冊の本やヒトとの出会いで変わることもある。何よりも一人ひとりの持っている、「学習権」というものがあって、それを介助していくのが教育なのだということを考えたら、適当な情報を与える介助の役割をしていることが大切なのです。
 人間の治癒力を助けるものとして薬や医療があると位置づけて経営をしている岡山の病院もあります。人間の生命力というのは、そのように相互に自ら変わる力があるからこそ病気が治ると考えられるのではないでしょうか。

「命の絆」とは

 大恐慌も戦争も人類の病気だと思っています。病気にならないためにはどうしたらよいか。ワクチンがあればいいのです。天然痘はワクチンを注射すれば天然痘にはなりません。
 病気のワクチンとは違う、社会的ワクチンを用意し自然災害や大恐慌や戦争に対する抗体を作ることが必要だと思います。病気と違って社会的な抗体をつくることは、個人の尊厳というものを中心において、前提に密度の濃い関わり、命の絆の濃さを増していくことがいろいろな災害や事件に耐えられる抗体の一種になると思います。
 「命の絆」は子供を育てることや、共に育ちあうこと、社員との人間関係を豊かにするとか、どうしたらよいかと聞かれても、答えは出せません。生き物は非常に具体的なもので、一人ひとり違います。全部に通用するようないい方法があるという幻想にとらわれないことです。
 教えることは大事です。でも「違っている」、「自らが変わる力」があるということを頭に置いた上で教えてあげることが大切で、しつけも同じです。
 共に生き、共に育つ、そして社会的抗体としての「命の絆」をみんなで蓄えていきましょう。

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