No.206(2008年8月号)

どうゆう みやぎ

宮城県中小企業家同友会
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発行日/毎月1日発行

南三陸支部5月例会報告

「地域産業活性化 生き残り戦略の軌跡」


橋水産(株)  社長 橋治人氏
(大分同友会佐伯支部幹事)

 人口2,500人ほどの漁業の町 『米水津 (よのうづ)』 で干物を中心とした水産加工会社を経営する橋社長。 地元水産加工会社16社で組織する 「米水津水産加工協同組合」 の組合長としても活躍し、 年間売り上げ50億円の全国有数の地域ブランド産地に育て上げました。 挑戦と挫折、 喜びと苦悩のなかで目指したひたむきな 「自立」 への道。 当日参加した方々の中に熱いメッセージを残しました。 以下、 抜粋して掲載します。

修行時代と幼い頃からの夢

 私は1972 (昭和47) 年に米水津に帰って来ました。 7人兄弟の長男で横浜の大学を卒業後 「私が代表して帰ろう」 と考えましたが、 「もう少し箔をつけたいな」 と思い、 大阪の中央市場にある全国有数の荷受会社に出向いて、 門前払いされたのですが、 「私の親父は九州で細々と魚の仕事をしています。 魚の仕事の現場を自分の目で確かめたい。 ぜひ入社させて欲しい。 そんなに長くは勤められないので、 できるだけ多くの課を回りたい」 と社長に直談判して入社させてもらいました。 朝の2時半に起床して3時に出社でしたが、 自分で 「やろう」 と決めたことですからとても楽しく働くことができました。 結果的に2年間に5つの課を回らせていただきました。 無我夢中の2年間でしたが、 この時の経験が未だに生きています。
 幼い頃からひとつの夢がありました。 その当時は魚が揚がらないと仕事がないその日暮らしの毎日でした。 いわゆる 「サラリーマン」 の家庭がとても羨ましく、 「朝8時から夕方5時まで仕事ができて、 日曜日は休めればどんなにいいだろう!これだけあれば他に何もいらない!」 という想いを胸に、 米水津に帰ってきました。

逆転の発想

 米水津で魚が揚がるのを待っていてはどうしようもありません。 「原料になる魚を探そう」 と、 丸干しにするための子イワシを求めて南は鹿児島、 北は北海道へと全国各地をまる一年かけて歩きました。 昭和48年頃には宮城県の女川でたくさんの子イワシを買ったのを覚えています。
 その時に考えたのは 「誰でもやれる簡単な仕事なら最初からやらない方がいい」 ということです。 逆転の発想で、 「より鮮度が落ちやすく難しいと言われる誰もやらないような仕事」 だけを狙いました。 何度も挑戦し、 何度も挫折しました。
 また、 当時は丸干しをつくる時には冬の冷たい寒風で乾かすのが一番よかったのですが、 冬しか仕事ができないのでは意味がありません。 神戸の水産試験場やメーカーとタイアップして冷風乾燥機をつくりました。 これによって一年間仕事をすることができるようになりました。

組合活動も「逆転の発想」で

 「米水津水産加工協同組合」 の活動にあたって 「協同組合とは何のためにあるのか?」 ということをいつも考えてきました。
 その中で決めたのが 「情報共有をしない」 ということです。 組合では親睦旅行はしますが 「研修旅行」 という名の旅行はここ20年間一度もしていません。 競争しあっている16社が、 同じ場所に行き、 同じ情報を得て、 同じことを始めたら、 結果的に足の引っ張り合いになります。 これだけ膨大な情報が複雑化し、 常に変化しているなかで、 その情報が正しいのか自分にとって有益かどうかは最終的には自分自身で判断しなければならないのです。 自分自身でお金をかけてそのお金以上のものを得ようと一生懸命になることにこそ価値があると思います。
 行政からの補助金はほとんどもらいません。 以前に県から 「補助金を出すから 『米水津水産加工協同組合』 の名前で共販をしてみませんか?そうすれば補助金をたくさん出せますよ」 という話があり、 共販のための箱やラベルをつくり、 同じような販売戦略が書かれたレジュメをつくって、 「さぁ売ろう!」 と始めたら見事に失敗しました。
 なぜなら、 「ものづくり」 というのは相当な努力が必要です。 一生懸命努力していいものをつくった人と、 「まあまあかな」 という程度のものをつくった人が、 同じ土俵で同じように売られてしまうというのは、 相当に不平等なことなのです。 結果的に、 優れた商品は自社の箱に入れて売り、 二級品ばかりを協同組合の箱に入れて売るということになりました。 それ以来、 共販は一切していません。
 まとまってやっていることは、 包装資材の仕入れや運送についてです。 「みんなにとって利益があることはやるけれども、 足の引っ張り合いになるようなことはやめよう」 という姿勢を貫いてきました。

産地内競争と自立の道の追求

 私たちの業界は全国相手の商売ですから、 競争相手は 「産地」 すなわち 「産地間競争」 です。
 しかし、 これに勝つための方法はたった一つしかありません。 「産地内競争に勝つこと」 です。 われわれのなかで競争をしない限り、 産地間の競争では決して勝てません。 「みんなで米水津のブランドを売っていこう」 とまとまるよりも、 この小さな地域から全国に通用する商品をつくる会社が1社でも出てくる方がよっぽど効果を生むと思います。
 よく村長に 「2,500人しか人口がないこの地域で500人もの雇用を生み出しているのは地域貢献ですね」 と言われてきましたが、 私たちは 「この村の将来をどうするか?」 「どう社会貢献するか?」 というようなことは一度も考えませんでした。 「自分たちが生き残ることだけが使命だ」 と考えてやってきたのです。 「身勝手」 と思われるでしょうが、 30年間でたった4社しか潰れずに16社が生き残っていて、 後継者が揃っているというのは、 その DNA を受け継いできたからだと確信しています。

時代が要請していること

 幼い頃、 仕事がなくなると 「圧搾サバ」 というものをつくっていました。 夕方学校から帰って来ると、 サバを炊いて搾った油を、 もう一度炊いたお湯に返してじっと待ち、 私たち兄弟7人で浮いた油を柄杓でドラム缶に入れて 「魚油」 として売っていました。
 仲買に来る人たちは、 乗用車に乗って、 綺麗な服を着ていましたが、 親父とお袋は朝から晩まで汗まみれになって、 臭いなかで腰を痛くして働いている。 「一番努力をした人に一番儲けがあって当たり前だ!」 と思いました。 だからこそ 「流通に何か裏があるのかもしれない。 大阪に行って見て来てやろう」 と思ったわけで、 それが私の原点です。 こういう矛盾は不思議なことに未だに続いています。
 しかし、 今それは崩壊しつつあります。 「自分で納得いく商品をつくり、 納得のいく価格で売ろう」 という発想でやった場合、 お客様は必ずいるからです。
 大手の量販店はいつも 「大量に安く、 同じ品質のものをいつでも供給できるか?」 とわれわれに聞いてきます。 そんなことはどう考えても無理です。
 みなさん考えてみてください。 「この商品はいつもどこにでもあるからいい商品だ!」 と思う方はいますか?それは量販店の都合に過ぎません。 そんなものを消費者は求めていない。 そんな考え方はもはや 「時代遅れ」 なのです。
 ならば、 今何が求められているのか?量は少しで良いのです。 なぜなら少ししか買わないからです。 「少し値段が高くても、 安心安全でストーリーがあって、 食べる私にとって魅力的なものを食べたい」 とみんなが思っているのです。 「隣のあの人が食べているから私も」 という時代はもう過ぎ去りました。 今は 「あの人があれを食べるなら、 私はもっと別のものを食べよう」 という時代になりました。

社員の成長こそが会社を変える

 私も会社を経営して28年になりますが、 3年くらい前から実務を離れるようになりました。 最初はジレンマがありましたが、 経営者一人が考えてやれるのはせいぜい 2 億くらいまでです。 きちんとした役割分担のなかで組織的に経営することが大切だと思います。
 本日お配りした 『地域井戸端店を目指して』 という資料は、 社員が初めてつくったいわゆる 「戦略書」 です。 大抵こういうものをつくる時は、 専門業者に依頼しますが、 すべて社員の手づくりです。
 最近一番売れているのは 「道の駅」 などを主体にした産地直売型の店です。
 佐伯市内に 「やよい」 という道の駅がありますが、 開店一週間前くらいに支配人の方から 「魚を置きたいのだけど誰も出してくれない。 何とか協力してくれないか?」 という話があり、 初めての試みでしたが 「アンテナショップ」 という位置づけで参加しました。 山の中で立地条件が悪いため 「こんな場所で売れるはずがない」 と他の会社は辞退していたようですが、 開店と同時に大フィーバーをして、 ここ5年間で毎月100万くらいずつ売り上げています。 その後、 順調に推移していたので、 「道の駅のためだけの戦略を立ててみよう」 と社員2人が中心となってつくったのがこの資料です。
 ページをめくっていくと 「井戸端会議をするように回りに人が集う、 無くてはならない地域の核としての店舗」 とあります。 単なる観光客相手のためではないということです。 後のページには会社概要や沿革、 商品づくりのストーリーが記載されています。 対外的な評価をまとめているページもあります。
 「道の駅のバイヤーさんや店長さんにただ口で説明しても分かっていただけないだろう」 ということで、 この冊子を持って 「これを読んでください。 せめて読んでいただくだけでもいいですから」 と、 九州にある150ヶ所くらいの 「道の駅」 を飛び込み営業で回っています。 現在 「居酒屋用」 「百貨店用」 「量販店用」 の作成も社員が検討してくれています。
 社員が夢を持っていろんなことに挑戦してくれることでしか会社は成長できないと思います。 経営を若い世代に任せることは、 確かに不安ですし、 損をすることもありますが、 とても夢があることです。 任せてみなければ、 その人の資質というものは分からないものです。 今の私にとって社員がやる気になって働いている姿を見ることが何よりの楽しみです。

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