No.206(2008年8月号)

どうゆう みやぎ

宮城県中小企業家同友会
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発行日/毎月1日発行

“共育”懇談会報告

『私の生きがい・働きがい』


(有) 大原飲食 船岡万鈴さん (入社4年目)

飲食店でのアルバイトが自分を変えた

 私は入社してから今年で4年目になります。 私のモットーは笑顔と元気です。 こんな私ですが昔からこのような性格ではありませんでした。 小さい頃から人見知りが激しく初対面の人とも話すことが苦手で、 以前から自分を変えたいと思い高校生の時に飲食店で接客のアルバイトを始めました。 アルバイトの経験を通じ、 お客様との話し方や人との触れ合い方、 社会での常識などを学ばせてもらい、 とても前向きになることができました。 就職を決める時には私を変えてくれた接客業の仕事に就きたいと思い、 「大原飲食」 への入社を決めました。

【1年目】人間関係に悩む

 高校在学中から大原飲食での研修が始まりました。 お店の方たちはみんな優しくて安心しましたが、 板前さんは始業時間よりずっと早い時間から仕事をしていたり、 パートの方とはいえ真剣に仕事をしているので、 ついていけるかな?と不安になりました。
 研修も終わり正社員として 「大原」 というお店に配属になりました。 初めの頃は社員という自覚がなく責任の重さや大切さを感じられず、 失敗やわからないことが重なるとすぐ 「辞めたい」 と思いました。 しかし人事異動でなじんだ先輩や同期の子が違う店舗に異動となった時、 その2人の分も自分が頑張らなくてはと思いました。 小さなことかもしれませんが、 それが 「自分の仕事に責任を持とう」 と初めて思ったときでした。
 私を担当する先輩は度々上司に注意されていましたが、 先輩が怒られるのは自分にも責任があると思い、 一日も早く先輩のフォローができるように、 何がダメでなぜ怒られるのかをよく考えるようになりました。
 2〜3ヶ月が過ぎ、 私にも初めて後輩ができました。 私と同じ歳のアルバイトさんでしたが、 上司からは 「船岡も先輩になるんだよ」 と言われましたが、 「嬉しい」 という気持ちより 「どうしよう」 という焦りと 「自分が後輩に負けそう」 という気持ちの方が強く、 「先輩だよ」 という言葉がプレッシャーとなり、 おしつぶされそうでした。 直接的な指導はありませんでしたが一緒に働いている中で、 聞かれたことに対しては応えられるようにと意識し始めました。
 1年目の後半はデシャップという、 調理場からあがった料理を確実な形でお客様に提供するという新しい仕事も覚えました。 この仕事は、 調理場とホール全体の動きを見る司令塔のような仕事です。 時にはなかなか出来上がらないお料理の催促などに、 どう対応したらよいのか戸惑うこともありました。 しかし調理場さんやホールの役に立てるというのがはっきり見える立場でもあったので、 悩みながらも少しずつ仕事が楽しくなりました。 そんな悩みを抱きながらいつも自分の支えになっていたのは、 同じ職場の2つ年上の先輩でした。 先輩はとても話しやすくその先輩がいたからこそ続けることができたとも言えます。 本当に自分は1人ではないということを教えてもらいました。
 2年目はある程度任せてもらえる仕事が増え、 お客様のお部屋を担当させてもらったりすることも増えてきたせいか、 自分の我がでてしまい、 上司や先輩に怒られても素直に受け入れられなくなっていました。 振り返れば2年目が一番波風が多かったかもしれません。

【2年目】さまざまな思いを胸に・・

 頼りにしていた先輩が異動、 そして新入社員を迎え、 「正社員」 である後輩を指導するという新たな勉強が始まりました。 私は先輩や上司の力も借りながら1つ1つを乗り越えていきました。 しかしそんな環境の中で自分の立場や役割が判らなくなり、 後輩が仕事を覚えはじめた頃には、 「私1人がいなくても、 この職場は大丈夫なのじゃないかな?」 と思い始め、 接客は好きだけど実際に違う仕事もしてみたいなどと考えるようになりました。
 そんなある日、 親方から1通の手紙を頂きました。 それは自分が以前に担当したお客様からでした。 私に担当してもらったことが楽しく元気がでたという内容でした。 そして 「笑顔を忘れないでください」 という言葉にハッとしました。 一瞬でも自分がいなくてもいいなどと思ったことを反省しました。 その後お客様からお礼の電話もいただき、 自分を必要としてくれる人がいることに凄く感動しました。 それからは今まで以上にお客様に喜んでもらえる事が何なのかを深めるようになりました。 そのような中、 今度は 「他のお店も経験してみたい」 という悩みができました。 退職も考えたのですが親方に相談したところ、 大原グループには独自の勉強会等もあり、 グループの中での店舗異動も可能なことを知りました。
 「大原」 で自分を必要としてくれるお客様もやっとできたばかりで、 他のお店を経験するのはもっと経験を積んでからでも遅くはない、 「大原」 で頑張ろうと心に決めました。

【3年目】太左ェ門への異動

 3年目を迎えた時に、 突然他店への手伝いを頼まれました。 そのヘルプ先は現在の職場 「太左ェ門」 です。 「太左ェ門」 は親方が変わったばかりでホールのことが一番分かるのはアルバイトさんという状態でした。 最初は1日か2日かな?と思っていたのですが1週間程続いたとき、 大原の親方に 「戻って来いというまで太左ェ門に出勤してくれ」 と言われました。 事実上の異動です。 アルバイトさん達にすれば、 社員なのだから何でもできるだろうという思いがあったと思いますが、 全く引継ぎがない中で何をどうすればいいのか分からず戸惑ってしまいました。 そんな中1つの問題がでました。 アルバイトさんが私に対して必要以上に壁をつくってしまい、 私から話しかけなければ、 何も教えてくれないという状況になってしまいました。 私もその子とは働きたくないというのが本音でしたが、 それでは本当の解決にはなりません。 どうしたら彼女の壁を壊せるのかを考えました。 悔しい思いで営業中に泣いてしまったこともありましたが、 アルバイトさんよりも知識を深め、 お客様を覚え信頼してもらうことに努めた結果、 その子との壁を薄くすることができたような気がします。 その後、 彼女は就職のため退職しましたが、 辞めてからも家族と一緒にご飯を食べにきてくれます。 自分がやってきたことが決して間違いではなかったと感じています。
 春には新入社員が加わりました。 正社員としては2人目の後輩ができました。 飲食店での経験がほとんどない後輩でした。「大原」 のときは先輩の力も借りてみんなで教えるという感じでしたが、 今度は私が1人で教えていかなくてはなりません。 ものすごくプレッシャーを感じましたが、 とにかくやるべきことはやろうと思いました。 「大原」 のときとは違い、 ダメな事はダメ、 逆に良い所は褒める、 その全てが私の仕事です。 やはり先輩や上司がたくさんいた職場ではかなり甘えていた自分がいたのだと痛感しました。 後輩に教えたり、 伝えたりしながら自分も1つひとつ振り返って一緒に勉強してきました。
 半年が経ち 「太左ェ門」 の親方が復帰してきました。 やっと慣れてきたところで、 また環境が変わるのかと動揺しましたが、 親方は個性的で迷いのない実直な方で、 この人についていこうと決めました。 違うやり方に慣れるまでに時間はかかりましたが、 一つひとつを乗り越え、 今ではメンバーが1つになり信頼関係ができています。

【4年目】将来の夢に向って

 私は今年で4年目を迎えました。 もっと早くいろいろなことを学んで親方やスタッフの支えになりたいと思っています。 しかし今の自分になれたのは決して私1人だけの力ではないし、 これまでの経験や環境、 周りの人々の支えがあったおかげだと思っています。 仕事をしていく上でこれからまだまだ問題や壁が出てくると思いますがそれを乗り越えて初めて働き甲斐生きがいを感じることができるのだと思います。
 私の将来の夢である飲食店の 「おかみさん」 になれるように、 これからも色々な事に挑戦し、 成長していきたいと思います。

今月の内容

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