No.199(2008年2月号)

どうゆう みやぎ

宮城県中小企業家同友会
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【同友会3つの目的】
●よい会社をつくろう。
●よい経営者になろう。
●よい経営環境をつくろう。
発行日/毎月1日発行

第5分科会 設営:石巻支部・気仙沼本吉支部・南三陸支部

人と地域と夢をつなぐ店づくりを信条に
 〜 自立の風で夢へ邁進 〜

(有)ゑびす
社長 佐藤勝郎氏

創業まもなくの経営危機から学んだこと

 私は、 旧栗駒町の農家の生まれです。 幼い頃から、 父親には 「農業が一番の職業」 と、 逆に母親には 「絶対安定したサラリーマンにする」 と言われながら育てられました。 高校を卒業する頃には 「起業しよう」 という自分なりの夢を抱いていましたが、 もちろんすぐに出来るわけがなく、 昭和53年に18歳で前職である食品卸会社に入社しました。
 それから10年間、 営業マンとしていろいろな得意先の社長さんや仕入れ担当者、 大手スーパーのバイヤーさんにビシビシと鍛えられ、 育てていただきました。 自分なりに10年という区切りをつくっていて、 28歳の時に妻に内緒で会社を辞め、 隣町の今住んでいる旧築館町に家族4人を連れて移り住みました。
  「起業するなら飲食業」 と決めていたので、 「これから10年間は飲食のノウハウや調理技術を学ぼう」 と前職とは畑違いの飲食業の世界に入り、 修業し始めました。
 ちょうど9年目を迎える頃に、 ある銀行から、 破産した居酒屋の物件を紹介され、 勢いと独立したい一心で買いました。 そして、 修業先をちょうど10年経った4月に辞め、 5月に半ば無理矢理開店しました。 誰も知り合いがいないところから、 仕事や子どもの PTA のつながりで友人がどんどん増え、 細い裏通り沿いという立地条件にも関わらず、 開店時にはとても友人達が応援してくれ、 5月に開店してから6〜8月は予想を超え大変賑わいました。 ところが案の定、 9月になって一気に客数が半分になり、 その後はどんどん減っていきました。 シーズンの12月は何とか乗り越えたものの、 1〜2月は運転資金が底をつき、 「接客がなっていない」 「料理やお酒が出てこない」 というクレームも重なり、 準備不足と自分自身の商売に対する考えの甘さを痛感しました。 実際、 ダメになる寸前だったと思います。
 ちょうどその時に、 昔、 営業マンの頃顔見知りだった人と自分の店で偶然再会して、 お互いにびっくりしました。 その方は金融機関の支店長になっていて、 「困ったことがあったら来い」 と言ってくれたので、 次の日の朝一番に彼を訪ね、 何とか500万のお金を貸してもらいました。 そして、 それを元手に改善を重ね、 その後は店の状況もどんどん良くなっていきました。
 順調に営業内容が良くなって行くと悪かった時のことは忘れ、 調子に乗ってしまい、 4年目に2店舗目を出店しました。 「築館にないチョットお洒落な洋風の店を出したらお客さんが喜ぶのではないか」 というとても安易な考えでの出店でした。 開店2日目に 「失敗したな」 と思いました。 お客さんは来ているのですが、 自分のなかでイメージしていたものと全然違っていたのです。 それが的中して、 客足はどんどん悪くなっていきました。 しかし、 何を改善すべきかを掴んでいたので、 6月に開店したこの店を11月にはリニューアルし、 翌年の11月に2回目のリニューアルをしました。 その結果、 2年目を過ぎる頃には採算ベースに乗るようになりましたが、 借り入れも多く、 何回も挫折しそうになりました。 そのなかで、 「自分ひとりだけでは何もできない」 ということを学びました。

農業とともに

 創業3年目くらいのある日のミーティングのことです。 ある社員が 「地元のお客さんにこれだけお世話になっているのだから、 何か地元に関わっていかなくてはいけないのではないですか?」 と提案しました。 その話を深めるなかで、 「すぐ出来ることはなんだろう?」 と考えて始まったのが 「地元の食材を使おう」 という取り組みです。
 さっそく農協や知り合いに紹介をしてもらって直接農家を訪問し始めましたが全く取り合ってもらえません。 大きな理由として三つありました。 一つ目は 「農協に出しているから全然困っていない」 ということでした。 二つ目には 「自分だけ目立ちたくない」 ということでした。 三つ目には 「居酒屋さんが使う量なんてタカが知れているから農協に出したほうがいい」 ということでした。 断られるほど何としてもやりたくなり、 通い詰め、 口説き落として、 2〜3品の食材を調達するところから始まりました。 それから、 近くに農産物中心の道の駅ができて、 農家の人とも交流が増えてどんどん使わせていただく品物も増えて、 ようやく理解してもらえるようになりました。
 野菜・果物・米から始まり、 今では豚肉や牛肉も地元のものを主体に使っています。 最初は自分たちのメニューに合わせて食材を使っていました。 しかし、 今は逆に 「食材に合わせてメニュー」 をつくっています。 わが社の店長、 調理長もいろいろな人と関わって、 熱心に食材を発掘しています。 恩返しのつもりで始めたこの取り組みも、 昨年 「第17期経営指針を創る会」 を受講して 「間違っていなかった」 と確信を持つことができましたし、 「栗原」 という地域を考えた時に、 「農業を考えずに地域の発展はない」 と考えさせられました。

Sさんとの出会いから広がった輪

 私は、 多くの出会いのなかからいろんな縁に恵まれて、 人生が大きく変化し、 自分の未来が変わってきたことを確信しています。 その出会いの一つをお話しします。
 私は現在、 「(有)ゑびす」 の他に 「(有)ダイチ」 という会社も経営しています。 この会社は同じ時期に法人化した会社で、 主に築館で育てられている 「新生漢方牛」 という牛肉を全国販売しています。
 この生産者のSさんは宮城県有数の生産農家で、 築館に移り住んでから知り合いになり、 いろいろと面倒を見てもらっています。 5〜6年前に口蹄疫・BSE が相次いで起きた時にはとても苦しい状況に陥っていたようです。
 その時に、 福島で、 鶏に荏胡麻 (エゴマ) を食べさせて 「漢方卵」 というブランドで販売していると言う情報を聞き、 福島へ訪問し、 生産者や研究者からお話を伺って、 Sさんはこれをヒントに 「健康な牛肉づくり」 をその日のうちに決意をして、 自分なりに構想を考えて 「新生漢方牛」 というネーミングを商標登録をしたのです。 数種類の漢方を配合し、 その都度に食味をして料理をつくるという形で関わってきました。 出荷し始めると、 時流にマッチした健康な牛肉として、 そしてネーミングの面白さも手伝って、 テレビやラジオ、 新聞などのマスコミにも取り上げられるようになり、 当時高視聴率だった 「どっちの料理ショー」 というテレビ番組にも 「特選素材」 として使用され、 問い合わせが殺到するようになりました。 Sさん自身が販売にも携わっていた事と販売の物量も増え、 「牛を育てることに専念したいから販売を引き受けてくれないか?」 と頼まれました。 その時は私も個人事業で、 居酒屋の一経営者に過ぎないので不安もありましたが、 「新生漢方牛直販部」 という看板を掲げて、 営業と出荷業務に走り回りました。 需要が増えるにつれて流通をしっかり確立するために、 仙台食肉中央卸売市場の買参権を取得し、 現在人員も4人体制になっています。
 最近は問い合わせがあると、 必ず栗原へ来てもらいます。 牛が育つ牧場の環境などの現場を見てもらい、 うちの店で食べてもらいます。 ほとんどの方は感動して、 使ってくれます。 今では飲食業だけでなく、 新潟の老人介護サービスで栗原の食材を使って料理構成をしているところもあります。 今年の4月には、 全国から飲食店を経営する会社を12社呼んで、 「新生漢方牛」 を始めとする栗原の食材のプレゼンテーションを行いました。 また、 Sさんは 「新生漢方牛」 から堆肥をつくって 「漢方米」 というお米もつくっています。 さらに、 「漢方米でお酒をつくったら面白いのではないか?」 というアイデアが浮かんで、 地元の 「金の井酒造」 さんに、 お願いをして今年仕込んでもらいました。 普通 「酒米でなければいい酒はできない」 と言われていますが、 そこの社長さんが唸るくらいのいい酒ができて 「院殿」 というネーミングで全国販売しているようです。 せっかくいい酒ができたので、 行政関係者や栗原で活躍している方々を50名ほどお呼びして、 今年の5月には試飲会を行いました。 「栗原の風土を味わう」 というテーマで、 栗原の食材でつくった料理と一緒に大いに楽しみました。

理念経営が人と地域の未来をつくる!

 今の時代を考えると、 ハイテク化が進めば進むほど、 一人一人が孤独になっていくと思います。 私たちは自分たちの仕事をハイテクの逆の 「ハイタッチ産業=心のふれあいを提供する産業」 と考えています。 そのためには、 一人ひとりが人間性を磨き高めていく必要があります。 わが社の経営理念に 「私たちは安らぎと心が触れ合う舞台で真心を提供し、 幸せを未来につなげます」 という一節があります。 「舞台」 とは、 「お店はお客さんの安らぎの空間であり人と人とのふれあいの場」 という意味もありますが、 「社員の舞台」 でもあると思います。 スタッフ一人一人が 「俳優」 「女優」 で、 「輝くスターになるために、 技術的なスキルアップだけでなく、 人間性も向上していこう!」 という教育方針を掲げて取り組んでいます。
 今期の経営指針書の作成にあたって、 「10年ビジョン」 をスタッフ全員に書いていただきました。 すると、 3名ほど10年後に 「社長」 になっている人がいて、 そのうちの2名は 「(有)ゑびす」 の社長になっていました。 一瞬 「えっ!?」 と思いましたが、 私だけの思いで始めたこの事業に夢を抱いてくれているということがとてもうれしかったです。
 今期は、 私の意図する部分を幹部に話すと、 あとは幹部が中心になって二つのグループで討論を繰り返し作成しました。 その討論の中でこの経営理念だったら 「こんな事業はできないか?」 という話を討論していました。 私はとてもびっくりして、 「すごいな!これが理念経営の凄さだな!」 としみじみ思いました。
 これから、 我が社としても、 今以上に農業と深く関わり、 農業の人たちに元気になってもらいたいと思っています。 生産から販売という連携した6次産業化を実現できれば、 地域になくてはならない独自性溢れる企業になると思います。 わが社のスタッフは、 ほとんどが 「栗原生まれ」 です。 同友会を含め、 「この栗原を何とかしたい!」 という仲間も増えてきました。 そうしたみんなの思いを結集し、 生まれ育った地域にもともとあった心優しい文化を取り戻すことを決意してご報告を終わります。

今月の内容

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