No.199(2008年2月号)

どうゆう みやぎ

宮城県中小企業家同友会
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【同友会3つの目的】
●よい会社をつくろう。
●よい経営者になろう。
●よい経営環境をつくろう。
発行日/毎月1日発行

第4分科会 設営:若林地区・岩沼亘理地区

幹部社員がわが社を語る 〜もう一人の経営者〜

     

パネラー
(株)オプス
取締役統括部長 設楽幸広氏

 

パネラー
マルチプライ(株)
取締役総務部長 佐々木順哉氏

 

パネラー
(株)メガネセンター(弐萬圓堂)
ゼネラルマネージャー 阿部秀樹氏

 

コーディネーター
東洋産業(株)
専務 玄地 学氏

●最初からリーダーシップを発揮していたわけではない

玄地】まずはパネリストの皆さんから自己紹介をお願いします。
設楽】大型商業施設・ビル・マンションの建物総合メンテナンス事業を進めて、 16期目を迎えます。 現在は3つの事業部に分けて取り組んでいます。 @ OPUS 事業部/従来のビルメンテンス業の事業部。 A SPEQ+事業部/エンドユーザーのお客様に直接対応する事業部。 B SKET 事業部/特殊清掃を主体にした事業部。 このうち SPEQ+と SKET は高付加価値を意識して独自のサービスをお客様に提供していく事業部で、 営業エリアは青森から九州まで広がっています。
佐々木】事業内容は、 清掃用品の卸売り、 環境に配慮したワックス・洗剤の製造販売、 建築物の検査、 建築設備の保守点検を行っており、 18期目を迎えています。 10年ほど前から入札の自由化に伴い、 地元のビルメンテナンス業者さんは苦戦していますので、 今後はビルオーナーさんを地元のビルメン業者さんに同行して訪問し、 一緒になって現状以上のメンテナンスを提案していこうと考えています。 ビルメン業者さんに元気になってもらい、 仙台全体を活性化していきたいと考えて取り組んでいます。 現在は仙台・札幌・青森・秋田・能代・北上の6拠点で活動しております。
阿部】メガネの小売と、 補聴器も扱っています。 今年で33期目を迎え、 店舗は北海道から沖縄まで約200店、 従業員は1000人を超える勢いで邁進しています。 メガネの価格が不透明と言われる中で一式 20,000円の“弐萬圓堂戦略”を打ち出し、 さらに2005年にどんなレンズを使っても全て20,000円という新しい形態を構築しました。 単なる安売り合戦に陥らないという考えで戦略を打ち出して現在、 今期の目標売上げを120億円に掲げています。
玄地】入社されたときの状況や心境はいかがでしたか?
設楽】私の入社は4期目 (平成8年) のときです。 30才を過ぎて自分の将来を考えていたときに、 先輩から 「これからしっかりした組織をつくりたいと考えている会社がある」 とオプスを紹介され、 入社することにしました。
 当時は正社員6名・アルバイト40〜50名、 社長が社員一人ひとりマンツーマンで指示する文鎮型組織でした。 若い社員やアルバイトが多かったので、 クラブ活動の延長線上のような雰囲気でした。 当日欠勤・遅刻、 ロッカーや倉庫は荒れ放題、 業務車両はボコボコ。 社長は熱血漢ですからこれを許していたわけではなく、 こういう状況と闘っていて本気で会社を改善していきたいと考えていました。 私も前職との職場環境についてのギャップを感じ、 やらされ感すらありました。 入社から3〜4年目が一番辛く大変な時期だったと思います。
佐々木】私の前職は東京に本社を置くビルメン会社の盛岡支社でした。 しかし経営危機を感じ、 私は逃げるように退社しました。 お世話になったマルチプライに挨拶だけはしておこうと思って連絡すると、 社長から 「仙台に出てくる気はないか? 総務部門を強化するための責任者を探しているのだが」 と言われ、 考えた末に入社を決意しました。
 しかし入社から数ヶ月ほど経った頃、 社長から 「おまえが来てから会社の雰囲気が悪くなった」 と言われました。 その理由が当時の私には分かりません。 数日後、 机の上に社長直筆の手紙が置いてありました。 「あなたの環境も変わったでしょうが、 あなたが入社することによってこの会社の人たちの環境も変化しました。 いろいろな考え方であなたに近寄ってきます。 その人に適した接し方をしてください」。 しばらくしてから分かったのは、 私が一日も早くみんなに気に入られたいという思いで何でも気軽に仕事を引き受けたので社内に甘える雰囲気が生まれたこと。 私の中にあった“自分は自分、 他人は他人”という考えが社員一人ひとりの責任感や連帯感を希薄にしたことでした。 社長の言葉の意味に気づき、 社員がすることは私が手を貸す必要があるのか、 社員が自分でやるべきなのかを考えるようになってから、 社長からその言葉を聞かなくなりました。
阿部】新卒で入社し、 今年で15年目になりました。 入社までの流れも、 高校を卒業したらどこかに就職しておかなければならないという感じで、 たまたま目に入った求人票がメガネセンターだったのです。 人と話すのも好きではなく、 長く勤める気もなく、 とりたてて目標があるわけでもなく、 上司に対する思いや責任感もなく、 ただ職場にいるだけでつまらないとすら思っていました。
 そういう私に本店異動の辞令がありました。 本店スタッフのレベルの高さに脱帽し、 そして尊敬できる上司に出会いました。 その上司は仕事に対する考え方や姿勢も、 スタッフへの指導や統率もすべて格好よく、 自主性を尊重してくれる環境を作ってくれました。 上司に追いつきたい、 もっと勉強したい。“やらされている”が“やりたい”に変わり、 この上司の姿が自分の目標になり、 「いつか自分も店舗を任される立場になりたい」 と思うことができました。 21才のときです。 この上司のもとで一年近く修行し“任せられること”“任せること”の大切さを学びました。 そして初めて一店舗を任されたのは22才のときでした。

●自主性を持った自分への変化

玄地】みなさんは最初からリーダーシップを発揮していたという感じではないようですが“やらされ感”から“自主性を持った自分”に変化するまでをお話しいただけますか?
設楽】“やらされ感”があっても会社を辞めなかったのは社員たちが自分なりの誇りを各自が持って仕事に取り組んでいたからです。 当時はほぼ100%が下請けでしたが、 一目置かれる存在であったと思います。
 結論を申し上げますと、 私が変わったのは社長が変わったからです。 以前の社長はワンマンでした。 私のしたことが社長の考えと違うと 「一からやり直せ」 と言ってきます。 私も社長によくぶつかりました。 当時から社長には自分なりの経営哲学がありましたが、 それは私や社員たちにはすんなり入ってきませんでした。 私もナンバー2としての自覚がなかったからかもしれません。 同友会に参加して、 社長が経営指針に取り組むようになったのは会社や私たちにとってとても大きいことでした。 経営指針は社員とベクトルを合わせて作るべきだと思います。
 よく考えると取締役の心がまえは社長とのぶつかり合いで培われ、 信頼関係がつくられていたのだと思います。 今でも、 社員のことや会社の方向性について社長と2人で討論会を毎日続けています。 取締役として、 あらゆる場面での判断を間違えるわけにはいきません。 この責務をやれているのは社長と私の間に信頼関係があるからこそと言えます。
佐々木】私は社長との関わりもそうですが、 社員に変えてもらった側面もあります。 4年前の会社の方針は“新卒採用”“新規事業”を軌道に乗せることでした。 そこで地元工業高校の生徒を新規事業担当として新卒採用したのですが、 入社すぐに彼の先輩が退社してしまい、 プレッシャーを感じた彼が辞めたいと申し出てきたのです。 説得する私の口から出たのは 「今まで私は嫌になったら辞めるという転職を繰り返してきて後悔している。 少なくとも君には私と同じ体験や気持ちを味わわせたくない」 会社の上司ではなく一人の人間としての話でした。 その後、 彼はとどまる決意をしてくれ、 他県の同業会社の研修や当社に出向してくれた技術者のもとで着々と力をつけていってくれました。
 また、 別の社員には 「君の目に、 私がどう映っているのかを率直に教えてほしい」 と聞きました。 2日後 「すみません。 正直に書かせていただきました」 と言って、 彼は手紙を持ってきました。 手紙には 「相談するとき、 社長に直接話した方が早い場合がある。 うちの会社は社長―幹部―社員という流れがまだできていないので、 佐々木部長にはそのパイプ役になってほしい」 と書かれてあり、 私は愕然としました。 社員全員から 「もっとしっかりしてくれよ」 と言われた気がしました。 いかに私が幹部でなかったか。 手紙をもらって、 社員たちが目的に向かってゆらぐことのない存在になりたいと明確に思いました。
阿部】弊社の人づくりのテーマは 「競争・協力・連帯」 で、“釜の飯教育”という共同生活をしながらの研修があります。 その体験の中で一番きつかったのは8年ほど前に北海道で眼鏡を売る、 という業務命令が出たときです。 仙台から5人、 地元から10人の社員がペアを組んで、 予算を達成させるまで帰ってこられないというものでした。 最初の1〜2日くらいは気合いも手伝って何とか売れるのですが、 どうがんばっても売れない日もあり精神的にだんだん参ってきて、 毎朝、 プレッシャーで具合を悪くしている仲間の様子が見えました。 予算をクリアして一日も早く帰りたい、 そのためには自分ががんばって仲間を助けなければとお互いに思っていたのです。 2週間後、 本部から予算達成の連絡が入ったときには、 みんなでこの辛さを乗り越えたという感動の涙がこみ上げてきました。 現在ではこのときのメンバー全員が各地のリーダーとして活躍しています。

●この会社だから、 私はがんばれる

玄地】これからの会社のビジョン、 ご自分のビジョンについてお話しください。 また自分が独立することを考えたことはありますか?
設楽】社長と仲間がいたからこそ自分の今がありますので、 独立は考えておりません。 ただ、 社長の身に万が一のことがあったときはオプスを引き継ぐ覚悟はあります。 社長から言われた言葉の中に 「経営を楽しめなければ取締役を降りてくれ。 設楽君と私との約束だ」 というのがあります。 経営者としての君と二人で歩んでいきたいと言われました。 この言葉は私がナンバー2として大事にしなくてはならない言葉だと思います。 取締役である以上、 会社を存続させることに責任があります。 課題に取り組むとき、 自分で選んで自分が好きで挑戦するのだということを忘れずにチャレンジ精神をもっていたいと思います。
 将来的には、 自分や社員の子どもたちが 「オプスに入りたい」 と言ってくれるような会社にしていきたいです。 また従業員が170名を超えて、 社長や私の目だけでは行き届かなくなってきています。 社員の末端まで共有できる想いを確認しながら、 見えないところも手を抜かない姿勢をお客様に提供する。 今、 そのスタートがきれたところだと思います。 困ったときには自分の胸にある経営理念を確認しながら、 具体的な方針戦略を社員みんなと進めていこうと思っています。
佐々木】何よりも私自身が幹部として成長しなくてはならないと思います。 現在は社員たちがどんな思いで働いているのを感じ取ろうと、 営業に同行したり現場に出向いたりしています。 部下から教えられ、 育てられることもあるのですね。
 私に手紙をくれた社員には感謝しています。 私はそれで変わらなければならないと思ったわけですから。 社員からの手紙と社長からの手紙はいつも持ち歩いて、 自分の方向性を確認しています。 この会社で自分は成長できると感じていますので、 もっと良い会社にすることに残りの人生をかけたいと思っています。
 社長から 「俺が会社からいなくなったらお前はどうする?」 と問われていた時期がありました。 当時の私には答えが出せませんでしたが、 今の私が答えられるのは、 後継者ではないけれども、 いつでも社長にとって替われる人間でなくてはならないということです。 この会社の存在意義を心に刻むこと、 部下や若い社員を自分の子どもと同じように大切に育てられるかということが自分には求められていると思います。
 会社のビジョンとしては、 地元のオフィスビルをもっと活性化させることです。 仙台市内は高層建築物の建築ラッシュで、 地元オフィスビルの空洞化が目立っています。 そうなるとビルの老朽化が速まってしまう。 そこへ新しいメンテナンスを提案し、 まち全体を活性化させていきたいと考えています。
阿部】私の役割は2つあります。 一つは弐萬圓堂ファンを多く作っていくこと。 もう一つは社員が働きやすい環境、 仕事を好きになれる環境を作ることです。 そこで必要なのが 「厳しく」 ではなく 「適正な」 評価をすることです。 しっかり実践している人はきちんとした評価がほしいのです。 あとは役職についているスタッフ以外にも何かプロジェクトを一つ任せて、 スタッフ間でコミュニケーションをとり目標に向かってもらうことです。 会議も“ヤッター感”の共有です。 企画が通ったときの喜び、 自分がやったことに対してみんなで喜び合えるように心がけています。 私の役割は、 スタッフが実践の中で失敗や挫折を体験しても後につながるようにすることです。
 会社のビジョンは“王道商法を貫く”。 嘘や偽りなく品質にこだわるというコンセプトを一貫して追い続けてお客様に喜んでいただくことが会社の、 そして私たちのビジョンです。 私は33才ですが、 同じ目標に向かっていくスタッフを、 次世代を見据えて育て始めなければならないと思います。 店舗数も200を越えた現在、 こういう大きな舞台を与えてもらった中で仕事を続けていきたいと思っています。
玄地】社長や社員と正面から向き合っていると感じました。 企業にとって一番大事な人材育成ですが、 三社に共通しているのは、 権限を与えたり任せたり、 そして可能な限りで失敗しながら (させながら) 自分も社員も育つという環境が社内にあることではないでしょうか。 その根底には信頼関係と目的・ビジョンがしっかりあって、 そこに向かってコミュニケーションを取っている姿が浮かんできます。 経営指針―労使見解―共同求人―社員共育―同友会大学―地域貢献と、 同友会の本質の学びを確認させていただきました。 この学びを、 仲間を増やしながらこれからも続けていきましょう。


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