はじめに
森】経営指針の成文化は経営革新の出発点であり、 企業経営に生命を吹き込むものです。 そして、 何よりも、 経営者の生き方、 姿勢が問われます。 今回のパネラーの皆様は、 成文化後1〜2年の方々です。 成文化の際、 どのような葛藤、 苦しみがあったのか?また、 成分化後、 どのような変化があったのか?報告を通して深めていきます。 それでは、 自己紹介をお願い致します。
自己紹介
澤田】(有)ほのぼの介護は6期目を迎え、 高齢者の訪問ヘルプサービスとケアプランなどを作成する事業を主に、 (有)ひだまり介護は5期目を迎え、 障害を持った方のヘルプサービス、 小、 中学生の放課後のケアをするデイサービスを主な事業としております。
自社を取り巻く環境は、 介護保健法、 障害者自立支援法の改正により、 報酬が下がり、 厳しい状況です。 国に財源もなく、 この先どうのようになっていくかが、 私たちの進む道に大きな課題が投げかけられております。 私たちは国の制度にふりまわされない、 本当にお客様に喜んでもらえる会社づくりを目指し、 社員と共に、 取り組んでいます。
阿部】コンピューターの業務ソフト開発、 及び販売の仕事を行っています。 7期目に入りました。 業務ソフトとは、 小売業、 製造業、 流通業などの業種のソフト開発で業種は多岐に渡ります。 流通業界で言えば、 納品書や請求書を発行するソフト、 在庫管理するソフト、 製造業で言えば生産管理で、 在庫管理や原価管理などです。
佐藤】わが社は父が創業者の解体工事業で26期目に入りました。 現在は解体工事業の他に中間処理業も営業しており、 コンクリートの破砕と再生砕石の販売を仕事としています。 解体工事業というのはバブルを境に仕事が増え確立したまだ新しい業界です。
受講前の会社の状況は?
森】 『経営指針を創る会』 受講前の会社の状況を教えて下さい。
澤田】私が起業した当時は、 介護保険が始まった翌年でしたが、 携わる事業者が少なく、 あまり苦労せずに売上が右肩上がりに上がっていくという状況でした。 私は経営者の仕事は、 社員に給料を払い、 雇用を守っていくことくらいにしか考えていませんでした。 全く経営者としての問題意識が無いまま受講したのが本当のところです。
阿部】わが社の業務ソフト分野というのは設備投資型です。 一つはお客様である地元の企業が厳しい状況にあるということ。 もう一つは既製品の安価で高性能なソフトが急速に普及し、 生業にしてきた自社用のソフト開発の市場が、 縮小してくるという状況。 その中でどの方向に向かって、 何をしたら良いかが分からず悩んでいました。
佐藤】直接のきっかけは同友会を紹介して頂いた会員の勧めからです。 当時の私は経営者としての自覚が甘く大失敗をしていました。 安易に歩合制を導入し、 社内では 『自分さえよければ』 というギスギスした雰囲気をつくりだしていました。 結果、 歩合制は辞めましたが、 そんな状況の中で、 経営指針を受講しました。
成文化の中でふれた社員の気持ち
森】経営指針を成文化する中で、 経営者として気付いたことは何ですか?
阿部】成文化をきっかけに社員と話し合いをする中で、 初めて気付いたことがたくさんありました。 『わが社はみんな無責任で誰も真剣に取り組んでいないのでは?』 など厳しい意見も出ましたが、 うれしかったのは、 社員は会社をどうにかして良くしたいと考えてくれていたことです。 私が経営者として踏み込んだコミュニケーションの場をいかにつくってこなかったということです。 わが社の経営理念には 「夢を叶えるソフトウェア」、 「思いやりと情報技術の融合」 という文言が入っています。 技術だけではない 「幸せ、 豊かさ、 生き甲斐」 を感じられる会社をつくっていこうというみんなの思いを込めました。 成文化とは社員の夢や想いを明文化することだと感じました。
佐藤】私の場合は一人で成文化し、 挙げ句に失敗したというのが本当のところです。 成文化後、 社員を集めて発表会をしましたが、 当然、 社員には全く伝わりませんでした。 現在、 一から社員と一緒に成文化している最中ですが、 大切なコミュニケーションの場になっています。 成文化が目的なのではなく、 それを通して社員と話し合い方向性を確認し合うことが一番大切なのだと痛感しています。
澤田】私は 『経営指針を創る会』 で 「逃げている」 とか 「金のことしか考えていない」 など様々な助言を頂きましたが当時の自分は受け止めることが出来ませんでした。 結局は 『売上が上がれば良い』 ということしか考えていなかったのです。
しかし、 『経営理念は社員と一緒に創る』 と教わっていましたから、 社員と一緒につくりました。 社員は会社のこと、 利用されるお客様への思い、 もっと良い仕事をしたいという思いをたくさん持っていました。 恥ずかしい話ですが一番思いが無かったのは、 自分だったのだと思います。
成文化しいざ実践!しかし・・・
森】成文化後、 自社に持ち帰りどんな変化が起こったのでしょうか?実際見えた現実の課題と併せてお聞かせ下さい。
澤田】結局、 私自身が何も変われませんでしたから、 会社も変わらず、 幹部社員を含む3人が会社を去ることになりました。 しかし、 みんなでつくった経営理念は生きていました。 残った社員は一丸となって、 『お客様に迷惑をかけないようにがんばろう』、 『現場のヘルパーさんが不安にならないようにがんばろう』 と、 常にみんなでつくった経営理念を振りかえりながらがんばってくれました。
しかし、 肝心の私は変われず悶々と過ごしてある時、 『人は弱くてもいいんだ』 と、 弱さを認め自分がどこに立つかを考えた時にがんじがらめの呪縛が解けました。 『経営者だからこうでなければならない』、 という理想に縛られていた。 自分が本当に恥ずかしかった。 そこに辿りつくまでに成文化から1年半かかりました。
阿部】会社に戻り、 経営指針の発表をした時に社員から 『こういうのを待っていました』 と言ってもらいました。 「良かったな」 と思いました。 しかし、 スタートラインに立っただけで、 経営理念があっても具体的なアクションが無いまま時間だけが経過しました。 結果、 右腕にしていた社員が辞めることになりました。 もし、 その社員が少しでも目標に向かって会社が変化していると実感していたら、 「辞める」 とは言わなかったと思います。 自分が情けなかったです。 経営指針を現実に形にしていくことは容易ことではなく、 本当に覚悟を決めて取り組まないと絶対形にはならないなと痛感しました。
森】現在、 佐藤社長は一から社員と一緒に成文化しているとお聞きしましたが、 その中で気付いたことがあればお聞かせ下さい
佐藤】解体工事という仕事は、 終わった仕上がりの状態はどこの会社がやっても大して変わり映えはしません。 それでは 『何が大切か?』 『何がわが社の売り物なのか?』 と聞くと、 お客様と 『楽しく仕事をしたい』、 『あたたかい気持ちで仕事をすすめていきたい』、 『自分達が成長しなければならない』 という意見が出ました。 私と同じようなことを考えていることに気づきます。 話し合いの場を通して改めて経営指針は必ず会社に必要なものだと再確認しました。
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