No.191(2007年6月号)

どうゆう みやぎ

宮城県中小企業家同友会
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【同友会3つの目的】
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発行日/毎月1日発行

宮城野地区3月例会

社員の成長は社長の役割
 〜『Step by Step』 仕事をとおして成長できる会社づくりを目指して〜


東北黒沢建設工業(株) 社長 佐藤 正之氏

 わが社は、 父が創業者の解体工事業です。 現在は、 解体工事業のほかに中間処理業も営業しており、 コンクリートの破砕と再生砕石の販売を行っています。 お客様は主に総合建設業、 いわゆるゼネコン、 官公庁、 個人がそれに続きますが、 割合としては約9割が建設業界での下請けが占めます。 売上としては22、 23、 24期と下降しましたが、 先期25期でまた上昇に転じ、 7億5千万円ほどになっております。

東北黒沢建設工業(株)入社、 苦しい時期

 入社してからの私は本当にゼロからのスタートでした。 建設業の経験が全くない状態でしたから、 営業に行っても建設業界の言葉や、 単語が分からないことも頻繁にありました。 そして何より、 会社の雰囲気、 働いている人たちが前職とあまりにも違うことにショックを受けました。 当時の営業担当者は鉄道の OB で、 全く仕事をする気もないのに、 威張ってばかりいました。 当時は OB がいれば鉄道の解体の仕事が来るようになっていましたから、 何もしなくて当たり前という状況でした。 それに、 当時は今に比べると解体工事の仕事は多くはありませんでした。 解体工事だけでは成り立ちませんので、 経験者もいない状態で土木工事や、 建築工事のとび土工事もやってしのいでいました。 このような状況で会社をやっていましたから、 会社は儲かるはずもなく、 火の車の状況が続き、 苦しく、 暗い毎日が続きました。 しかし、 入社3年目頃から世の中はバブルに突入し、 解体工事は以前とは比べようもないほどに増え、 苦しい状況から少しずつ脱していきました。 このバブルを境に、 解体工事が毎年コンスタントに発生するようになり、 解体工事業が確立していきました。

変わりはじめた社員

 売上は上がっていきましたが、 当時の社員は盗み、 喧嘩、 無断欠勤、 酒を飲んではふらついて車にはねられるなど、 ひどい状況でした。 一つ例をあげると、 私より古くからいる社員の家で入社半年くらいの社員2人と、 古い社員2人の4人で酒を飲んでいました。 そのうち、 会社の悪口が始まり、 酔って、 しまいには 「みんなで辞めようや」 となってしまったのです。 次の日、 四人とも同じ現場だったのですが誰も来ない。 電話をかけたら、 一人の社員が出て、 酔ってこんな話になってしまって、 それぞれが朝出勤しづらくなって休んでしまったというのです。 「明日は出ますからすみませんでした」 と言うことになりましたが、 古い2人は出てきたものの、 入って半年目の2人は、 「かっこ悪くて、 恥ずかしいので辞めさせてくれ」 と言って辞めていきました。 本当に情けなくなるような話ですが、 そういう社員が多かったのです。
 しかし、 その度に社員を呼んで自分の考えを伝えました。 社員同士のいがみ合いや喧嘩がおこった時には 「一日のうちの起きている時間の大半である8時間をこの会社で働いていて、 会社にいる人間たちとは家族以上の時間を過ごしているのだから、 家族と同じように大事にし合おう」、 また小さな盗みや、 重機を壊した、 など怒られるのが嫌で隠していたことが発覚した時は、 「男として格好悪いことや、 女々しいことは絶対するな。 男らしく生きろ」 と言い続けてきました。 少しずつですが分かってくれるようになり、 重機を壊しても 「すみません。 こういう理由で壊してしまいました」 と言ってくれるようになりました。
 一番社員に変化が見られたのは10年前です。 私が毎日の現場の番割、 手配 (人・機材・資材) をしていたのを、 現場の責任者に任せ、 現在の職長を育てるようになってからです。 初めは現場の社員から 「なぜそこまでやらなければいけないのか?」 など文句も出ました。 現場でも任せた責任者が元請け関係者と喧嘩をはじめ 「もうこんな奴を現場によこすな!」 と言われることも頻繁にありました。 また、 現場の全てを任せる訳ですからコスト意識も低くコスト面から見ても非常にマイナスで、 多くの失敗を繰り返しました。 しかし、 やり続けました。 それは、 めちゃくちゃで何もできなかった社員が少しずつ成長していく姿が見えていたからです。 簡単に言えば本当に 「めんこい」 んです。 社員達にもお互いの成長を見てライバル心が生まれるようになりお互いを意識するようになってきました。 「俺の現場」 という意識が生まれてきたのです。 この頃から 「仲間として一緒に仕事をしている」 という気持ちも生まれてきました。 現在では職長を中心に現場員みんなで会社の重機、 人を割り振りするようになり自分達で判断して現場を仕切っています。

経営者としての私の失敗

 ただ、 私自身まだまだ経営者としての自覚が甘く、 3年前に大きな失敗をしました。 みんなに同じ方向を向いて仕事をしてもらいたいと思い、 歩合制を導入したことです。 現場の利益の20%を営業と現場に振り分けるというやり方でした。 多い人では月収100万円近く稼ぐ社員もいました。 しかし、 「自分の現場が儲かればよい。 自分さえよければ」 という雰囲気を招き、 結果として歩合制を辞める決断をしました。 一番稼いでいる社員に聞くと 「前の会社の方がよかった。 給料は安くてもよいから、 社内がギスギスしないほうがいい」 と言われました。 本当に自分はバカなことをしてしまったと反省をしました。 「仕事は金じゃない、 金で人は動かない」 と本当に思ったものです。
 また、 現場員の楽を考えるあまり、 直行、 直帰を認めるなどもしていました。 会社にとっては非常にマイナスです。 お金の面でも、 時間の面でも待遇をよくすれば働いてくれる、 それをするのがよい経営者だと思っていたのです。 大変恥ずかしいことですが、 それがつい最近までの私の考えでした。

社員の成長こそがわが社の強み

 東北黒沢建設工業が今あるのは、 この会社にかかわった多くの社員がこの会社を作ってきたからです。 中学校卒でオペレーターになった者、 高校中退で土建屋に入り、 当社に来た者。 その人たちが、 現場代理人として立派に仕事を終えてくるようになりました。
 つい一週間ほど前に終わった現場ですが、 木造建物の解体現場がありました。 現場を持たせる人間が不足している状況でしたので、 部長から、 「この現場を K に持たせていいでしょうか?」 と相談があり、 任せました。 K は中学校を卒業して、 18歳の時に入社し、 現在22歳になる社員です。 最初は不安でしたが、 K は最後までやり遂げました。 ある時、 お昼休み後に現場に行ってみると、 30人くらいの下請けの作業員を集めて、 午後からの作業の指示を出していました。 自分よりも年上の作業員が多い現場で堂々としていました。 「いつの間にか、 こんなことも出来るようになっていたんだなあ」 と、 涙が出る想いでした。 彼がこの大きな現場を持ったことは、 K にとっても大きな自信につながったと思います。

『優しさ発信企業』 を目指して

 会社ができて26年目になりますが、 解体工事業界の歴史が非常に浅いこともあり、 まだまだ解体業者に対する社会的地位は低い状況です。 しかしわが社の仕事は、 社会にとってなくてはならない仕事だと誇りを持っています。
 いつも感じていることがあります。 ある現場で、 超ロングブームの重機で解体をしている場面がありました。 そこで、 私も社員たちの仕事ぶりを見ていました。 本当に命がけで解体工事に携わっています。 その姿を見て経営者として本当に奮い立つ想いです。 「こいつらを最後の最後まで面倒を見たい」 と心から思います。 とにかく経営者として、 @適正な価格で仕事をとってくること。 A命がけでがんばっている社員の生活を守り、 厳しい中でも自社を守っていくこと。 Bしかし、 その中で人間の優しさを感じられる社会をつくっていくこと。  少し値段は高くても東北黒沢建設工業(株)に仕事が来る、 一緒に携わる業者も少しでも優しい気持ちになって感動がもらえる。 そんな 「優しさ発信企業・東北黒沢建設工業(株)」 にしたいと考えています。 私が常に社員に言っていることは、 「解体工事というのは、 終わった仕上がりの状態はどこの会社がやっても大して変り映えはしない。 しかし、 だからこそ、 仕上がるまでのプロセスが大事なのだ。 プロセスで一番大事なのは、 いかにお客様と気持ちのよい、 楽しかった仕事をしてきたかなんだ」 ということです。 だからこそ、 全社一丸となって同じ方向を向いていく必要があります。 私は 「第17期経営指針を創る会」 を受講しましたが、 全て自分一人でつくりました。 社員全員の前で発表会をしましたが当然すぐに理解できる訳もなく無反応でした。 そこで 「やっぱりみんなでつくらないといけない」 と気付き、 現在、 みんなでつくっていこうと動き始めたところです。 「人生の最後の最後まで一緒にやっていきたい。 社長の私だけでなく、 社員全員がそう思えるような会社にしていきたい」 ―― 改めて経営指針は必ず会社に必要なものだと再確認しました。
 今回、 例会報告を通じて自分のことや会社のことを何日間も考えていくうちに、 「社員も私も成長しているのだ」 と改めて思いました。 また、 現在、 会社の全員に成長の機会を与えているか?一部の部署だけがそうなっていないか?と疑問に思い始めました。 【会社の一番の存在理由は人の成長の場になること】です。 そういうことを考えるよい機会を与えてもらったと感謝しています。

今月の内容

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