私をとりまく人たち
私には同期入社の同僚が一人います。 研修期間のうち4月〜5月までは彼女と一緒に働き、 6月〜9月、 10月〜12月はそれぞれ醤油製造部と店舗運営・営業企画に分かれて仕事しました。 彼女とは高校のこと、 恋愛のこと、 仕事のこと何でも話してきました。 彼女は 「製造現場で働きたい」 と言っていました。 私は何も言いませんでしたが、 その言葉はずっと私の心に残っていました。
醤油製造部の現場は、 みんな私よりずっと年齢が上の人ばかりで、 醤油がどう作られているかもまったく知らないので不安もありましたが、 とても親切に教えてもらいました。 特にお世話になったのがトヨ子さんという方です。 いつも明るく元気で、 60歳を超えていますがエネルギッシュで素敵な方です。 ベテランで醤油製造の仕事は何でも知っているので、 分からないことがあると細かいところまで熱心に教えてくれます。 同時に、 何もできない自分に腹がたつこともありましたが、 トヨ子さんは私のことを怒りません。 逆に私を気遣い心配してくれ、 私にとってもう一人の親のような存在です。
店舗運営・営業企画の仕事は、 醤油製造とはまた違いました。 こちらの部署では史恵さんという方がとても丁寧に教えてくれました。 お店にはいろいろなお客様がやってきます。 「いつものを」 という近所の方。 関東からいらして商品について詳しい説明を求める方。 対応や会話はなかなか上手くいきませんでしたが、 お客様に顔と名前を覚えてもらったときは嬉しかったです。
自分がやりたいこと
12月は1年のなかで八木澤商店が一番忙しい時期です。 10月に製造現場に戻った私はトヨ子さんの気迫に押され、 毎日ヘトヘトになりながら仕事をしていました。 その中で信頼関係のようなものが生まれていたのかもしれません。 トヨ子さんの存在は私の中でとても大きくなっていました。 12月には醤油製造か営業企画か、 配属を決める面談もありました。 「どっちの仕事がしたい?」 と聞かれ、 決めてきたはずの答えもなかなか言い出せず、 泣いてしまいました。
私の答えは醤油製造部でした。 それを言い出せなかったのは、 同期が言っていた希望と私の希望が同じだったこと。 もう一つは、 面談の場に史恵さんがいたからです。 お世話になった史恵さんを前にして違う部署を口にすることが申し訳なく思えたのです。 ところが面談で同期の彼女が希望したのは営業企画でした。
トヨ子さんは先月で20年勤めた八木澤商店を退職する予定だったそうです。 「だから里沙に仕事を覚えてもらうために必死なんだよ」 と言われたことがありました。 トヨ子さんが持っている全てを私に託してくれていることを知り、 それに強く応えたいと思って希望した仕事ができることになりました。 面談のとき 「トヨ子さんが辞めたあとに“里沙にして良かった”と言われるようになりたい」 と言いました。 後日の配属発表で、 私が製造醤油部になったことを聞いてトヨ子さんはとても喜んでくれ、 私に全てを教えるために 「もう2〜3年はがんばる」 と上司に言ってくれたそうです。
|