創業まもなくの経営危機
私は、 栗駒町生まれで、 実家は農業でした。 父親から 「農業は最高の職業だ」 と幼い頃から教えられてきたのですが、 母親は 「絶対サラリーマンにする」 といつも話していました。 高校卒業の頃から 「事業を起こして独立したい」 という夢を抱いていて、 昭和53年に前職である総合食品卸会社に入社しました。 それから10年間、 気仙沼の多くの社長さんや大手のバイヤーさんに揉まれながら育てていただいて、 それが今の自分の事業をするなかで生きていると思っています。
28歳の時に妻と既に3人の子どももいましたが、 自分で 「10年」 という区切りを持っていたので内緒で会社を辞め、 家族を連れて隣の築館町に移り住むことになりました。 修業に入った店は今とは全く畑違いの店でしたが、 独立を 「飲食業」 に絞っていたので、 ノウハウと調理を覚えるために 「10年間」 と決めて修業させていただきました。
その後、 その店を辞める1年前に、 銀行から話をいただいて、 倒産した居酒屋の物件を取得して開業しました。 築館に移ってからは、 仕事や子どもの学校の PTA で知り合った人など、 どんどん友達が増えて、 開店するときにとても協力してくれました。 倒産するような店なので、 もともと商売するような立地場所ではありませんでしたが、 半ば無理矢理平成9年の5月に開店しました。
開店まもなくから、 立地場所が良くないにもかかわらず予想以上にお客さんが殺到しました。 自分ではきちんと準備したつもりでしたが、 タカをくくっていた部分もありました。 5月に開店して8月くらいまではとても忙しく、 「料理は出ない」 「接客はできない」 とクレームの連発で全く駄目でした。 9月になると客足は半分になり、 その後どんどん減っていきました。 何とか12月は乗り切りましたが、 2月頃には 「もう駄目か」 と思いました。 実際に駄目になる寸前だったと思います。
そんな時に、 昔の営業仲間と出会い、 彼がたまたま金融機関の支店長になっていて救われました。 ところが、 3年くらい経つと店の状況も良くなってきて、 大変な時期をすぐに忘れ、 4年目に2店目を出店しました。 「築館に少ない洋風のおしゃれな店を出せばお客さんに喜んでもらえるのではないか」 と安易な考えでやってしまい、 開店2日目に 「失敗したな」 「何かが違う」 と思いました。 それが見事に的中し、 月を追うごとにどんどん悪い方向に行きました。 6月開店だったその店を11月にはリニューアルし、 店の雰囲気をがらっと変え、 少しずつ手応えを掴みながら、 試行錯誤を繰り返し、 開店2年目が過ぎる頃には採算ペースに乗ることができました。 ただ、 まだ事業をやって4年目だったので、 会社の足腰が弱かったです。 お金もなく大きな借金をして大変つらい思いをしました。 かなり設備投資もしましたが、 こうしたなかで経営者として学んだことが多かったと思っております。
|