No.195(2007年10月号)

どうゆう みやぎ

宮城県中小企業家同友会
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【同友会3つの目的】
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発行日/毎月1日発行

気仙沼本吉支部7月例会

「人と地域と夢をつなぐ店づくりを信条に」
〜 社員とともに自立の風で夢へ邁進 〜


(有)ゑびす 社長 佐藤 勝郎 氏

創業まもなくの経営危機

 私は、 栗駒町生まれで、 実家は農業でした。 父親から 「農業は最高の職業だ」 と幼い頃から教えられてきたのですが、 母親は 「絶対サラリーマンにする」 といつも話していました。 高校卒業の頃から 「事業を起こして独立したい」 という夢を抱いていて、 昭和53年に前職である総合食品卸会社に入社しました。 それから10年間、 気仙沼の多くの社長さんや大手のバイヤーさんに揉まれながら育てていただいて、 それが今の自分の事業をするなかで生きていると思っています。
 28歳の時に妻と既に3人の子どももいましたが、 自分で 「10年」 という区切りを持っていたので内緒で会社を辞め、 家族を連れて隣の築館町に移り住むことになりました。 修業に入った店は今とは全く畑違いの店でしたが、 独立を 「飲食業」 に絞っていたので、 ノウハウと調理を覚えるために 「10年間」 と決めて修業させていただきました。
 その後、 その店を辞める1年前に、 銀行から話をいただいて、 倒産した居酒屋の物件を取得して開業しました。 築館に移ってからは、 仕事や子どもの学校の PTA で知り合った人など、 どんどん友達が増えて、 開店するときにとても協力してくれました。 倒産するような店なので、 もともと商売するような立地場所ではありませんでしたが、 半ば無理矢理平成9年の5月に開店しました。
 開店まもなくから、 立地場所が良くないにもかかわらず予想以上にお客さんが殺到しました。 自分ではきちんと準備したつもりでしたが、 タカをくくっていた部分もありました。 5月に開店して8月くらいまではとても忙しく、 「料理は出ない」 「接客はできない」 とクレームの連発で全く駄目でした。 9月になると客足は半分になり、 その後どんどん減っていきました。 何とか12月は乗り切りましたが、 2月頃には 「もう駄目か」 と思いました。 実際に駄目になる寸前だったと思います。
 そんな時に、 昔の営業仲間と出会い、 彼がたまたま金融機関の支店長になっていて救われました。 ところが、 3年くらい経つと店の状況も良くなってきて、 大変な時期をすぐに忘れ、 4年目に2店目を出店しました。 「築館に少ない洋風のおしゃれな店を出せばお客さんに喜んでもらえるのではないか」 と安易な考えでやってしまい、 開店2日目に 「失敗したな」 「何かが違う」 と思いました。 それが見事に的中し、 月を追うごとにどんどん悪い方向に行きました。 6月開店だったその店を11月にはリニューアルし、 店の雰囲気をがらっと変え、 少しずつ手応えを掴みながら、 試行錯誤を繰り返し、 開店2年目が過ぎる頃には採算ペースに乗ることができました。 ただ、 まだ事業をやって4年目だったので、 会社の足腰が弱かったです。 お金もなく大きな借金をして大変つらい思いをしました。 かなり設備投資もしましたが、 こうしたなかで経営者として学んだことが多かったと思っております。

生産者の顔が見える店づくり

  「食材」 を 「栗原産」 にこだわるようになったきっかけは、 創業3年目くらいに、 以前から続けてきたミーティングのなかで、 ある社員から 「地元のお客さんにこれだけお世話になって成長させていただいているのだから、 何かの形で地元に関わったらいいのではないですか?」 という話が出たことです。 その話を深めていくなかで 「自分たちが使うものに地元のものを使っていけばよいのではないか?」 ということに決まりました。 自分たちで調べたり、 栗原の農協の関係者に聞いたりして、 直接農家へ訪問しお願いに歩きました。 しかし、 思いのほか全く取り合ってもらえませんでした。
 大きな理由として三つありました。 一つ目は 「農協に出しているので、 全然困っていない」 ということです。 二つ目には 「自分だけ目立ちたくない」 ということでした。 三つ目には 「居酒屋さんなら使ってもらう量はタカが知れているから、 農協に出した方がいい」 ということでした。 しかし、 断られれば断られるほど、 何としてもやりたくなってきて、 通い詰め、 口説き落として、 2〜3品の食材を調達するところから始まりました。
 それでも農家の人に 「うちの名前は絶対に出さないでほしい」 「自分だけ目立ちたくない。 目立つと妬まれるから」 というような話をされました。 私は 「なぜそんなことを考えるのか?」 と不思議に思いましたが、 これも 「地域性」 だと思います。 それから少しずつ増やしていって、 2年くらい経つと、 隣町に農産物中心の道の駅ができて、 そこにも通い詰めて農家の人と交流するようになり、 ようやく理解してもらえるようになりました。
 今では直接農家の方々から話がどんどん来ますし、 農業関係者だけに留まらずいろんな輪が広がっています。 野菜や果物から始まり、 今は豚肉や牛肉など多くの食材に地元のものを使っています。 最初は自分たちが作ったメニューに合わせて食材を使っていましたが、 今は栗原にある食材を発掘して、 「食材にあわせたメニュー」 をつくっています。

栗原フード (風土) で物語を紡ぐ

 人育てや組織づくりに気づいたのは創業から4年目に2店舗目を出した頃です。 その頃、 23人くらいのスタッフが一堂にお店の座敷に並んだ時に、 初めて経営者としてのプレッシャーを感じました。 その時期までは、 私も現場に入っていましたが、 「組織づくりを進めるためにはこれではいけない」 と思い、 急に調理場に入らなくなりました。
 私たちの飲食業で働く人、 とりわけ調理をする人は、 「将来独立したい」 と希望する人が多く、 私たちの店にもそういう夢を抱いて入ってくる人たちがたくさんいます。 私はとにかく毎日 「夢とロマン」 だけしゃべっていました。 定休日の前日になると、 酒を飲みながら夜が明けるまで夢とロマンを語り続けてきました。 そのように関わってきたスタッフが今は幹部になり、 「独立は考えていない」 と私に断言し、 一緒に働いてくれています。 「『仕事』 と言うのは生活の糧、 遊びの糧だけではない。 夢を持って無心で30代までどれだけ集中できるか、 そして夢を持って20代のうちに人生を生きる基礎体力をつけることが重要だ」 ということをいつも話しています。 もちろん夢だけではなく、 現実的に 「一緒に夢を追うようなパートナーを30代のうちに見つけて家庭を持ちなさい」 とも話しています。
  「一日のうちの大半は仕事に費やすわけだから、 仕事は絶対楽しくなければならない。 仕事の中に喜怒哀楽を感じ、 人生を楽しく感じるものが職場である」 ということが私の口癖で常に言っています。 私が尊敬する人の言葉に 「人生で大切なことは、 この地球上で存在するもののなかで、 神様が創造したもの、 自然や生命など以外は、 すべて人間がイメージしたものです。 あるべき姿、 こうありたいというイメージを抱き、 現状把握をし、 その差を埋めていけばどんな夢でも叶うことを知ってください。 計画的に、 理知的に、 問題を埋めていくことさえできれば、 すべてが人にとって可能であることを知ってください。 あなたの中にはとんでもない可能性があることを忘れないでください」 という言葉があります。 これを私は常に自分のなかにイメージして考えています。

夢を描ける会社づくりを目指して

 私は、 人との新しい出会いのなかからいろんな縁に恵まれて、 人生が大きく変化して、 自分の未来が変わってきたと確信しています。 今の時代を考えると、 ハイテク化が進めば進むほど、 拠りどころや人とのふれあいの場を求めるものです。 私たちはハイテクの逆の 「ハイタッチ産業」 ―― 心のふれあいを提供する産業だと思います。 ですから、 社員一人一人の人間味というものを磨き、 高めていかなければならないし、 「人間成長」 を一番の教育方針に考えています。
 先ほど 「夢を持つことが大切だ」 とお話ししましたが、 6月18日に経営指針発表会をした時に、 全員に 「10年ビジョン」 を書いてもらいました。 そのなかに3名ほど 「社長になりたい!」 という社員がいて、 そのうち2人が10年後に 「ゑびすの社長」 になっていました。 私も 「えっ!?」 と思いましたが、 「社長になりたい!」 と思ってもらえることは、 この店に夢を抱いてくれているということですから、 何よりもうれしいです。

これからめざすこと

 今、 世の中では 「グローバル」 が合言葉のように言われていますが、 もともと日本は自給自足で創りあげてきた文化があるわけですから、 世界に飲み込まれることなく、 今こそ足もとの地域の未来を見つめて人間らしく生きていきたいと思っています。
 そして、 自社の独自性をつくっていくために、 一次産業の農業に協力をして、 製造や販売と連携した6次産業化を目指し、 存在意義のあるオリジナル性の高い企業にしていきたいと考えています。 わが社ではほとんどの人が 「栗原生まれ」 です。 みんなの 「栗原」 への思いを結集して、 社員一人ひとりのかけがえのない人生の実現に挑戦していきたいと考えています。 同友会を含めていろんな人たちと関わっていますが、 「地域を何とかしたい!」 と思っている人は増えてきています。 そういう人たちと一緒になって、 生まれ育った地域にあった心優しい文化を取り戻していきたいという決意を持ってこれからもがんばっていきたいと思います。

 佐藤社長には10/17日に開催する 「2007経営研究集会」 の第5分科会でもご報告いただきます。 今回の骨子では触れなかった 「人と地域を生かした仕事づくり・店づくりの秘訣」 を存分に語っていただきます!! ぜひご参加ください !!

今月の内容

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