1月26日 (木)、 石巻グランドホテルにて民俗研究家の結城登美雄氏を迎え 「2006年度石巻支部新春講演会」 が開かれました。 自ら小さな村や集落を訪ね歩いてきた結城氏の生きたお話は80名を超える参加者に 「本当に大切なものは何か?」 を気づかせる、 こころにしみこんでくる素晴らしいご講演でした。 |
沖縄県の山原 (やんばる) 地域の90歳以上のお年寄り、 50人に話を聞きました。 長々と話を聞くので1日に1人か2人しか聞けません。 沖縄の言葉はよく分からないので何回も聞き返して通訳をしてもらいました。 100歳近くまで生きているその方々は、 “あたい”“ゆんたく”“ゆいまーる”の3つがこれからの高齢化社会にとって大事であると言いました。
“あたい”で“ぬちぐすり”を育む
“あたい”とは、 「家の周り、 あたり、 ほとり」 のことで、 家族のための自給の畑が大切であるということです。 私が 「なぜ長生きできるのですか?」 という問いをしきりにすると 「食べ物がいいからだ」 と答えます。 今、 日本人の多くは健康志向、 有機無農薬、 添加物が入らないようにと盛んに語りますが、 山原の方々はそういうことを全く言いません。 ある時、 「お前さんは体重何sくらいあるの?」 と尋ねられ 「70sくらいです」 と答えました。 すると 「生まれた時は?」 とまた尋ねられ 「確か3000gくらいと聞いています」 と答えたら 「そうなったのは食べ物でしょう?“ぬちぐすり”だね」 と言われたのです。 “ぬち”は命、 “ぐすり”は薬です。 「食べものは命の薬である」 と。
本土には食べものの哲学がありません。 商品化された選別の物差しはたくさんあっても、 「人間にとって食べものとは何だ?」 という問いがないのです。 でも沖縄のオジィオバァたちは 「命の薬である食べものを他人様にゆだねてどうするんだ」 と言います。 「本土の人は何でもすぐに裏をひっくりかえして 『賞味期限は?』 『添加物は?』 と疑惑の目で見る。 失礼な話だ。 そんなに疑うのなら自分でつくりなさいよ」 「自分で何もしないで、 ただ金を出して 『安全なら高く買ってもいい』 なんてずいぶん失礼な話だ。 それは自分の命を軽んじていることだ」 と言われました。 自分の大切な食べものを自分の手でつくるということ。 それは我が身が生きていく土台を我が身の近くに備えるということ。 “あたい”を持つ。 これは 「『自家用の野菜の畑を持つ』 ということに留まらず、 外部の人に委ねて疑心暗鬼に陥ることから抜け出すということではないか?」 と私には思えました。
“ゆんたく”はこころのふれあい
二つめは“ゆんたく”、 「おしゃべり、 お茶飲み」 のことです。 昔、 商家の人は、 朝の段取り終わると午前中はあまり客が来ないからということで、 漬け物などを持って向かいの店に行き、 時々店のほうを振り返りながら 「ああだこうだ」 とやっていました。 沖縄ではお話を聞いた50人がみんな何らかの形でお茶飲みをしていました。
一番すごかったのは、 イレカマドさんという104歳の方です。 24戸の集落の長老なのですが、 毎朝その家に20人ぐらいが歯を磨きながら 『おはよう』 と縁側に集まってくる。 ある方が刃物を持ってきて 「グラグラするんだけど」 と言うと、 「どれどれ」 とそこにいたオジィが見てくれて、 「釘がちょっと緩んでるんだな」 と1時間後ぐらいにはちゃんと直してくれるのです。 「キャベツの苗、 誰かないかな?」 と言うと、 「俺の余ってるから取りに来いや」 と苗を5本ぐらい分けてもらう。 村のミーティングのように365日、 たいていみんながやって来ます。 そこで身近なことはほとんど片づいてしまう。 「ここのところあのオバァ来ないなぁ」 と言うと、 誰かが 「孫の顔を見に○○へ行ったらしいよ」 「あぁ、 なら元気だね」 で終わりです。 これは拡大解釈すれば 「福祉」 の役割をしています。 コンビニの役割もあります。 夏の夕方に暑くなると浜で三線 (さんしん) を弾いて、 誰かが踊りだしてズンチャンズンチャンと始まります。 話を聞くと、 この浜で奥さんを 「ゲット」 したと言います (笑)。 気心が知れるわけで、 「あぁいいな」 「どうだいお前、 俺と一緒に連れ添わないか?」 と言うと、 「ぜひぜひ」 から 「まぁしょうがないか」 といろいろあるのでしょう。 “ゆんたく”というのは人間が人間として向かいあうということです。 何も構えずに向かいあうと嫌なところもたくさん見えるのですが、 それが人間のつきあいであり、 人間の社会であり、 地域社会であると、 きっとそう言いたいのだろうと思います。 「地域社会はどうあるべきか」 などと問題提起をするといいことしか言えません。 もっとアバウトでいい加減、 だけどそこに人間の暮らしがありそれを許容する関係を住民は求めている。 住民が多ければいいというものではないし、 少ないからダメだということでもありません。
“ゆいまーる”はお互い様の助けあい
3つめが“ゆいまーる”です。 このへんでいえば 「結い」 です。 茅葺き屋根の葺き替えや水路掃除といった 「共同作業」 です。 今、 茅葺き屋根の葺き替えを企業に頼むと1500万くらいかかります。 こうなると銀行を頼るしかない。 村の方々はそのローンは組めません。 ですから、 誰かが 「うちも30年経って雨漏りもだいぶするし、 来年は屋根葺きたいんだけどどうだべ?」 と言うと 「まぁよかっぺ」 とみんなで共同作業で茅を刈って葺き替えをしました。 そうすると食事やもてなし酒などを出しても100万くらいで1400万浮くわけです。 「結い」 というのは、 「近くに住んでお互い様」 という関係です。 戦後、 私たちは失った物にこの 「お互い様」 というのがあると思います。 これを失って地域も変容してきました。
僕は突然お邪魔するので、 畑や田圃にいる人ジィちゃんやバァちゃんに 「何してんの?」 と話しかけて、 「まぁ座れ」 とか言われて 「悪いなぁ」 と思いながら1時間や2時間おしゃべりをすると 「飯食ったか?」 と聞かれ、 「いいんですか?」 と図々しく昼飯や夕飯やお酒までご馳走になって、 風呂に入って泊まらせてもらうこともありました。 そんなにたくさんありませんがその時は 「あぁ農村はいいな」 と思います。 そしてだいたいみなさん 「また来いや」 と言ってくれます。 そしてその後に必ず 「いやぁ、 何年かぶりに人とゆっくり話したなぁ」 と言うのです。 同じ町や村にいて地域を共にしている人とゆっくり話すことがなくなった地域社会というのは、 住所や住居として 「自分の私的空間にただ住んでいるだけ」 で、 人としての関係やつきあいや 「お互い様」 といったものはなくなった社会だと山原の方々から思わされました。 |