社員共育塾第5講

「子どもたちが私の先生」 (後編)


    
青少年自立支援センター ビバの会 ビバハウス

運営委員長 安達 俊子氏  
(※前編はどうゆうみやぎ4月号に掲載)



 ひとりぼっちの若者を無くしたい

 当時、 佐賀県でのバスジャック事件、 愛知県では老夫婦が殺害される事件、 新潟県では少女が監禁される事件と、 連日17歳問題が取りざたされていました。 いずれも孤独な若者たちがひき起こした事件でした。 若者を育てる仕事をしてきた者として、 若者をここまで追い込んでしまう社会をつくってきた大人のひとりとして、 責任を感じずにはいられませんでした。 なにか行動を起こさなければと言う気持ちに駆り立てられ、 北星余市の教師歴9年、 その後の余市町議歴20年の経験をもつ夫とで、 ひとりぼっちの若者をなくしたい、 元気をなくしている若者に寄り添って応援したいと、 ビバハウスの取り組みをはじめました。
  夫と共に5年前、 『青少年自立支援センタービバの会』 として発足させた 『ビバハウス』 は北海道の日本海に面した小さな町、 余市にあり、 教員経験者が始めた事業として、 当初は民間教育施設的な存在でした。 2年後厚生労働省の 『精神障害者地域生活援助事業グループホーム』 としての役割も担うようになり、 社会福祉的施設としての側面も持つようになりました。 今年からは全国64万人とも、 85万人ともいわれているニート (職業に就いていない学生でもない、 職業訓練も受けていない青年無業者を指す言葉) 対策として、 厚生労働省が年間予算9億8000万円で開始した全国20の 『若者自立塾ビバ』 の運営を任され、 10月1日に余市町でスタートしました。 この若者自立塾は法人格を必要とされ、 新たに 『有限会社青少年自立支援センタービバ』 を発足させました。 青少年の自立支援だけを目的に掲げる、 日本で初めての会社ではないかと思います。 ビバはラテン系の言葉で万歳です。 生きていることは楽しい、 人生万歳、 という日が若者に訪れるようにと願いをこめて名前をつけました。
  現在では、 『青少年自立支援センタービバハウス』、 2002年度に認定を受けた 『グループホームビバハウス』、 もうひとつは 『教育相談所』 と3枚の看板で活動しています。

失敗を許されない社会に生きる若者 
〜ハイウェイを全速力で走るような生き方〜

 現在、 15歳から31歳までの20数人の若者たちが集まっています。 数は流動的で、 元気になったらステップアップして卒業していく場所となっています。 長期の引きこもり、 一度は社会に出たが自信を失った若者、 非行から立ち直りたいと少年院から直行してきた若者、 大学生活に夢や希望を失い疲れ果ててやってきた若者とさまざまな事情を抱え 『ビバハウス』 にやってきます。 このような若者と共に生活して、 現在の教育のあり方が深く彼らを傷つけているかを痛感します。 失敗が許されない社会、 一度失敗したら二度と同じように歩めない社会、 そして、 このような社会に入っていくための常に失敗を許されない学校の現場。 若者たちにとってこの現実が心の奥底で大きな圧迫感となっています。 10年間引きこもっていた若者が私に次のように言いました。 「仕事も勉強も常にスピードアップが要求され、 自分はまるでハイウェイを全速力で走っている自動車のようだ。 立ち止まってまわりの景色を見ることも許されない。 立ち止まってまわりの景色を見れば、 後ろの車に全速力でぶつけられ命を奪われる。 だから生き延びるためにはただただ、 目の前の道をひた走ることしか許されていない。」 本当に追いつめられた若者の心境が伝わってくる言葉です。
  ある時、 若者に 『ビバハウス』 がどんな所か聴いたことがあります。 「『ビバハウス』 は人生道場。 安心して失敗できるところ、 育ち直しをするところ、 自分の長い人生で一時休んでどう生きるかを考える休憩所」 という答えが返ってきました。
  若者同士が影響し合う力をしっかりと育てれば、 人間として大きく変わっていくことを北星余市高校の指導で経験していますので、 『ビバハウス』 もそうで在りたいと若者の集団的力量を高める努力をしています。 ロングホームルームでも2時間、 3時間と徹底的に話をします。 自己批判、 相互批判を迫って問題解決をしていきます。 その中から本当の気持ちを出し合い受け止め合うのです。

ビバハウスの取り組み
〜 生きる根元から 〜

  『ビバハウス』 の重点的な取り組みの一つに、 生きる根元である 『食、 眠り、 遊び、 学習、 労働』 などの生活習慣の確立に力を注いでいます。
  ひとつは食べることを大切にしています。 長期の引きこもりの生活から摂食障害などの困難を抱える若者がとても多いからです。 食事は大きなテーブルを囲んでみんなでしますが、 人が怖くて4ヶ月間自分の部屋から出てくることができない若者がいました。 私は彼に食事を運び、 言葉やメッセージで励まし、 4ヶ月後初めてテーブルに付くことができました。 同じテーブルに付くことは心の解放の度合いを示すことだといっても過言ではなく、 食事をする姿から若者の生育歴や家族関係が見えてきます。 表情の変化をとらえ対応できことが宿泊型の良いところです。 自分で食べるものは自分で作ることを自立の第一歩として、 食事作りも大切な活動としています。
  食後は2階の共同スペースを会場にみんなで遊びます。 引きこもりや不登校で兄弟や友人たちと遊ぶ経験乏しいため、 毎日人と遊びを通して接することで、 自然体で人との関係が結べるようにしています。 おしゃべりも弾むようになりました。
  また、 若者が心を結び会える行事を大切に、とりわけ誕生会は一番大切にしています。 若者たちの中には、 これまで親に迷惑をかけ続け、 生きている意味の無い存在だと自傷行為に走った若者も複数いますが、 誕生があったからこそ、 現在の仲間との出逢いがあるのだと実感する場として、 大きな意味を持っています。 クリスマス会は地域の方、 ビバの会運営委員の皆さんを招待したり、 また心の距離を縮められるように、 一泊旅行にも行っています。
  人間関係のストレスが少なくなるにしたがって 『働きたい』 気持ちが生まれてきます。 そこで、 地域の関わりあいと体力づくりを兼ねて、 村の農作業の手伝いに行き、 農機具の操作を学んだり、 除雪のボランティアをやらせてもらっています。 村には高齢者が多いので喜ばれています。

地域からの協力、 交流から

 設立当初は、 地域の見る目は厳しいものがありました。 若者に天気の良い日は散歩に出掛けようと誘っても出たがらない。 地域の方々の視線が肌に刺さると言うのです。 はじめその意味が私たちには分かりませんでしたが後に納得しました。 『何か事が起きたら警察に通報だよ』 が地域の方々の申し合わせだったのです。 それを若者たちはその視線から敏感に感じとっていたのです。 しかし、 現在ではビバハウスの活動をマスコミからの暖かい報道から知っていただき、 地域の方々から応援をいただき若者に勇気と元気を与えています。
  隣町の農業生産法人の社長様ご夫妻の指導でヤーコン栽培に取り組んだり、 さくらんぼやシソの収穫作業のアルバイトをしています。 農作業の合間に働いている方々との交流会もしていただいています。
  また、 教育福祉村が月1回通信を発送する手伝いや地域の伝統行事 『余市まつり』 にも参加し、 地域の方々との交流から人の役にたっている実感が次の行動のエネルギーになっています。
 
子どもたち若者たちの未来のために

 今までの実践が認められ厚生労働省の委託事業として 『若者自立塾ビバ』 を設立しました。 10月1日に開校し、 3ヶ月ごとに塾生を迎えています。 条件が16歳から35歳までと引きこもりも高齢化が進みと今後ますますたいへんなことになっていくと思います。 3ヶ月ごとの合宿サイクルで塾生を迎えますが、 2ヶ月目には自分が就労したい分野の資格を取れる期となっています。 個人の希望に応じてプランが組まれます。 費用は国から半額援助されます。 塾が終わった後6ヶ月間は就労実現のためのアフターケアーの期間を与えられています。
  ゆっくりじっくり自分づくりをしていく 『ビバハウス』 と、 3ヶ月間の合宿、 その後6ヶ月間のアフターケアーで社会的自立をめざす 『若者自立塾ビバ』 とがそれぞれ独自の役割を果たしながら、 自立への助けを必要としている若者たちのために私たちはこれからも取り組んでいきたいと考えています。 子どもたち、 若者たちなくして日本の未来はないからです。 困難のもとで自らの成長を必死に求めている子どもたち、 若者たちの苦しみを自らの苦しみとして、 懸命に支えている親御さんたちの輪がいっそう大きく広がっていくことを願いながら、 私の話をおわらせていただきます。 ありがとうございました。



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