新春講演会
「これからの“まち”づくりと中小企業家の役割」
 


千葉大学園芸学部 教授 中村  攻氏

 2月8日、 卸町会館を会場に 「新春講演会」 が開催されました。 当日は150名の経営者・幹部社員が出席。 「地域と中小企業」 について深く考え、 自信と確信を得る大きな学びの場となりました。 講演終了後のグループ討論も大変盛りあがりました (以下例会報告)。

 私は地域計画、 都市計画、 農村計画を専門にしております。 同友会の方とはここ数年前からお付き合いさせていただいておりますが、 こんなに社会との結びつきを深く考えながら企業の発展を願っている人たちがいるということを知り、 驚きました。 さて、 地域にとって企業はどんな存在でしょうか。 また、 企業にとって、 皆さま方経営者にとって地域とはどういう存在でしょうか。

【1】地域に対して中小企業が持つ役割

@働く姿が見えること。

 現在の子どもたちが働くということの意味を知らなくなってきています。 今までの日本の都市計画は、 働く意味や位置づけをきちんとせずに進めてきたからです。 工業団地や大規模集積地をつくってそこで働き、 別に住宅団地をつくってそこに住む。 子どもたちは住むところだけで生活しているから、 働くことのつらさ・喜びなどに触れないまま大人になってしまうのです。 これが消費都市・日本をつくり出してしまった。
 人間にとって働くということはもっとも大事なことです。 勤労は国民としての義務であり社会を支える基盤であり、 働いて初めて社会が成り立っていきます。 その意味を日常生活で子どもたちに教えていけるのが中小企業です。 毎日、 大人が頑張っている姿を通して、 子どもたちに働くことの素晴らしさ、 楽しさを伝えていけるということが、 次の世代を育てます。 ですから企業は従業員が収入を稼ぐだけの場所ではないのです。

A住民の生活を支えていること。

 企業には単に儲ければいいというのではなく、 地域の人たちの生活を支える活動をしながら収益を得ているという考え方が必要です。
 数年前、 私の隣家で火事が起こりましたが、 わが家までは延焼しませんでした。 それは、 隣家の日照確保のために1間半ほど引いて建ててあったからです。 工務店のサジェスチョン、 つまり住民に専門知識はないから企業が相談に乗りながら提案する必要と責任があるのです。 任された企業がどんな考えでどんな仕事をするかで、 まちの安全が決まってくるのです。 建設に関わる企業が住民の家を作っていくわけです。 火災の時に延焼したり、 有毒ガスを吸って人が死んだりするような家なみをつくるのも企業です。 住民と一緒にどういう家を建てたらいいか、 企業人がどう動くかで住民の生活はすごく変わっていくのです。

B富を生み出すこと。

 企業活動が住民の生活を支え、 そこから収益を得て所得を得て税金を払う。 その税金で社会資本が整備されます。 ですから短期の荒稼ぎではなく、 中長期的に見て社会に貢献する企業活動をしているかどうかが大事です。 経営戦略はそれにふさわしい責任を果たすというものを立てる必要があるでしょう。 それを通じて人間は誇りを感じ、 人のために役立って正しく生きていくことができるのです。 金儲けだけでは社員は育ちません。 人の役に立ち、 感謝され、 そして人から期待されるという中で人は育つと思います。



【2】中小企業にとっての地域とは

@地域は企業活動の源泉です。 企業は、 人間の生活上に必要だから存在します。 消費者ニーズをどう掴むか、 生活者が何を求めているのかを探る、 企業として産業化していく。 ところが大企業は自分たちがニーズを作り出し、 自分の会社の商品が売れるよう、 人に欲求を出させています。 よって大企業によって人間の生活が変えられ、 歪められています。 それに対して、 私たちはアンチテーゼを出していかなければなりません。
 中小企業家として必要なことは生活のイメージを持つということです。 そのために自社ではどういうものを作って貢献したいかという、 人間生活のイメージをしっかり持って企業戦略を立てる必要があるでしょう。 いびつになった国民の生活を正していく、 そういう活動は中小企業だから可能です。 大企業の地域は宇宙です。 中小企業の地域は本当に生活しているところです、 だから地域から逃げることもできません。 その地域でどんな生活をしたいのか、 そのためにどこで貢献していくか、 イメージを持って企業戦略を立てる必要があります。 皆さんの企業活動の需要は地域の人々が生み出しているからです。 A労働力の提供ということ。 企業にとって地域は、 優秀で健全な労働力を確保するところです。 中小企業が次代の労働力を確保する意味でも大切です。 若者が故郷に戻って働きたい、 そういう地域づくり、 企業づくりをしていっていただきたいと思います。
 地域とは、 原理的に言えば区画された土地、 一定の境界を持つ人間が生活する場ということです。 子育てをし、 お年寄りの面倒も見て、 というトータルな日常生活を通してコミュニティが広がっていなければ地域とは言いません。 ですから寝るためだけに家に帰るという人には地域はないのです。 生活する、 生活集団をつくる、 生活空間をつくる。 これが地域の三要素です。 生活を通じて人間同士の結びつきをきちんと作り、 地域の一人ひとりの生活とコミュニティが活動しやすいような場所を作っていくということです。

自分の頭で考えたビジョン、 持っていますか?  

 皆さん、 生活のビジョンを持っていますか。 ――残念ながら今の日本人の多くは自分に合った人間らしい生活のビジョンをほとんど考えていません。 持っていても 「自分の頭で考えたビジョンではない」 のです。  では、 今のビジョンは誰が考えているのでしょうか。 答えは大企業です。 大企業が作りだす生活のビジョンに乗せられて、 自分で考えもせずにあれもこれも欲しくなってしまう。 モノを手に入れることで幸せになるというところにどんどん入っていってしまう。 大企業が提供するものを手に入れることが幸せになることだと考えるようになった、 大企業が情報網を使って人の生活のビジョンを歪めてしまった。 だから、 日本人はやたらとモノを買う。 さらに言えば、 モノを買うことの出来るカネをたくさん持つことが、 日本人にとっての豊かな生活観となったのだと思います。 こういう人間は世界的に見ても特殊ですね。
 カネは生活において大切な基盤だけれど、 カネそのものが豊かな生活ではない。 豊かな生活を手に入れるための基盤としてのカネであるはずです。 ヨーロッパでは家族で暮らすということが生活の大事なビジョンです。 ですから家族と散り散りになって単身赴任で働くということは考えられません。 人間らしい生活・カネでは買えない生活をするために自分は働くのだ、 それを犠牲にしてまで得た収入にどんな意味があるのだ、 という一つの考えがあって然るべきです。

生活の中にある文化を見直す

 私たち日本人は手当たり次第にモノを買って、 手当たり次第に捨てる。 食を見ればインスタント化とパック化。 住まいを見ればウサギ小屋と言われるほど狭い住宅を大きく占めているのは活用しない家具。 これらは人のまともな生活を前提で起こっている変化だと思いますか? 企業の大量消費で金儲けするという理論の上に乗せられて、 私たちはいかに無駄な消費をしていることか。
 かつては日本人も食にしても住まいにしても、 生活の中にある文化を楽しむというプロセスを持っていたわけです。 楽しむイメージをもって文化をおこしていくような産業が必要です。 そこにまた新しい需要が出てくるはずです。 ですから、 ひとりの人間として 「私はこういう生活がしたい」 というビジョンを持ち、 もう一方で企業人としてどんな企業にするのか、 地域の生活をどう支えるかのイメージを持つことが大切です。 そして末永く地域の人々とつき合っていくことで地域の生活文化が着実に根づき進歩していきます。 それが中小企業にしかできない社会的責任であると同時に、 大企業とは違う役割で勝負するという企業活動を展開していくポイントでもあります。 中小企業に必要なのは、 人間らしさを選択してもらえる企業づくりです。

豊かな生活はカネで買える?


 人間らしい豊かな暮らしのビジョンとは何か?日本人は戦後、 特にこの30〜40年で生活が劇的に変わりました。 この変化で私たちの生活は豊かになったでしょうか、 貧しくなったでしょうか。 5〜6年前までは、 豊かになったという人がほとんどで、 貧しくなったという人はごく少数でした。
 ところが最近は貧しくなったという人が増えています。 生活の視点の違いです。 物質面から見れば、 日本人の生活は間違いなく豊かになっています。 貧しくなったという人は物質で計れない面からの視点です。 例えば健康・人間関係・治安。 どれも目に見えない安全が急激に保障されなくなってきているのです。  物質的には豊かになっていく過程で、 私たちは過ちも犯してきた。 その過ちを改善していかなければならない、 それを直したものがビジョンです。 改善しなくてはならないものの一つ目は 「豊かな暮らしはカネで買える」 という発想、 カネが生活の目的にすりかわるということです。 あくなき物質的な欲求を追い求めるスタンスは人間をすり減らす。 そういう国は世界でもアメリカぐらいでしょう。 ヨーロッパでは人間らしく生きるために働くという関係がはっきりしています。 日本人は働くために生きる、 働くことをとったら何も残らないなどということも大いに考えられる状況です。

個人レベルの解決ではなく地域レベルでの解決を

 二つ目は個人的合理主義の生活観です。 起こる問題を、 全て個人レベルで解決しようとすることです。 これでは社会的に解決するという能力を失ってしまっています。 例えば学習塾に任せた子育て。 日本では子どもの学力を心配すると、 親は学習塾に入れます。 学校が子どもをほったらかしだからです。 少人数制でどの子もちゃんと分かるような制度を取るべきだと思いますが、 そういう方向を取らないでいるから学習塾で補填する。
 どんな生き方であろうとも、 お互いの基本的な生活レベルを保障しあうという制度をつくってきたヨーロッパでは、 もっと人間の多面的な生き方を前提にしながら生きています。 学校も一クラス20人ほどの少人数制です。 学習塾はありません。 逆に発展途上国では学習塾がさかんです。 一握りのエリートになって良い暮らしをしたいと強く思うから、 子どもたちはものすごい競争に駆り立てられています。
 交通の問題もそうです。 わが国では国有鉄道がないため、 民間に丸投げです。 そうなると乗客の多い東京は安く、 農村に行けば行くほどお年寄りが高い交通費を出している。 通勤の問題をどうしていくかとか、 バスを便利にしようとか、 車は家族で楽しむ時に使おうとか、 国土の交通網を環境の問題も合わせて、 みんなで社会的に考えていく。 人間らしい生活に欠けている部分をみんなで補っていく。 個人で解決するのではなく、 社会全体で解決していくやり方をもう一度取り戻す。 今、 地域で討論しながら直すべきところを直していかないと、 新しいビジョンはできないでしょう。 ビジョンは唐突にやって来るものではなく、 現在の生活のどこに間違いがあるのかを考えながら描いていく必要があるでしょう。
 三つめとして付け加えると、 中小企業が地域の子ども達に働く姿を見せるということです。 昼間から地域の大人が働いているところは安全だからです。 危ないのは働く場所と住む場所が分断されたところ、 すなわち昼間働いている人がいないところです。 北須磨の酒鬼薔薇事件も奈良での新聞配達員に女の子が殺された事件も住宅団地で起こっています。
 地域の中小企業が働く姿を見せることは子どもたちを守っている。 そういう大きな意味もあるということも、 これから声を上げていかなければならないと思います。 (文責は宮城同友会事務局にあります。)


■「これからの“まち”づくりと中小企業家の役割」

 

■「子どもたちが私の先生」

■2005年上半期(1月〜6月)景気の状況に関するアンケート結果

 

■地球環境部会設立によせて
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