最優秀賞「仕事をする母の姿を見て」
仙台白百合学園高等学校 3年 橋恵梨香
「温泉に行きたいと思った時点で心はある意味、病んでいる。」
これは私の母がいつも口にする言葉である。私の母は、江戸時代から続く老舗旅館の女将だ。女将という仕事に誇りを持ち、常にお客さまの心を緩和して差し上げるよう努めている母のこの言葉は、どこか重みがあり自己の責務を感じる。それと同時に将来の旅館像を冷静に見つめているように思えた。
母はお客さまの心の寂しさや疲れの緩和をサポートできるよう「精神対話士」の資格を取得した。精神対話士とは、孤独感や喪失感を持った方に対するメンタルケアのスペシャリストだ。臨床心理士のように治療として問題解決をするのではなく、対話士は聞き役に徹し、本人の気持ちの向上と気力の充実をサポートする立場だ。これからの旅館は、食事をして宴会をし、お風呂に入るという楽しみだけの時代ではないと母は考えている。温泉に入り、旅館に泊ることで、心もきれいに治して差し上げたいという願いから、この資格を取得したのだ。この資格を取得したことで、「心のエステ」をお客さまにご提供することができるのだ。
私は当初、接客の接客の仕事にはたして精神対話士のような資格が必要なのか疑問に感じた。ただお客さまと接し、お客さまのご要望に気付き、そして、そのご要望にこたえて差し上げることが、接客業であり、旅館の女将の仕事だと思っていた。しかしそれは甘い考えだったのだ。幼い頃から仕事をする母の姿を見て、母の見様見まねで接客に携わってきた。私が幼少の頃は「かわいいから」ということや「まだ子どもだから、しょうがない」などの理由で大体の失敗は許されてきた。しかし、今はどんな理由があろうと失敗は許されない。私は母から、たった一つの失敗のせいで何百人ものお客さまを失ってしまうという接客の厳しさを学んだ。その時、精神対話士という資格を取得したことで持つことができた、良い意味での自信と女将への責任が母から強く伝わってきたのだ。
精神対話士の資格を取得することは、勿論お客さまの心のケアをして差し上げることができるということだ。しかし、資格取得により責任感が強まり、モチベーションが上がったということも事実だと思う。実際、資格取得のために学校へ通い努力を惜しまず勉強した母は、資格を取得した時、仕事への意欲がより高まっていた。そして勉強のかいあり、聞き上手になり、お客様の心をともすことができるようになった。母とお客さまの会話のやりとりを見ると、母と接しているお客さまは「この人は自分の話を聞きたがってくれているな。」と感じているようで、生き生きと母との会話を楽しむように話していた。
元アナウンサーだった母は、大変話し上手で講演依頼も多い。様々な題材で講演活動を続けていることも、仕事をする母のもう一つの顔だ。臨機応変に聞き上手と話し上手の切り換えができ、そして「言葉」というものに対して敏感だ。母は一つ一つの言葉には魂が宿っている、という「言霊」を信じている。何気ない言葉でお客様を傷つけるようなことがあってはいけない、と気を付けているのだ。女将業、司会業、講演活動と様々な面で活躍する母を私は偉大だと思う。そして、母から接客の厳しさを学んできたと同時に「人と出会える喜び」という楽しさも肌でふれてきた。「ありがとう」と目の前で感謝して頂けるのだから、接客業ほどカルマの落ちる仕事はないと私は思う。
私にとって仕事をする母の存在は大きい。三人の娘の母として、妻として、嫁として、そして精神対話士を含めた女将として、四役を完璧にこなしている。そんな母を大変誇りに思う。そして、母から学んだ接客の厳しさと喜びを将来に生かそうと、私も接客のできる仕事がしたいと強く希望している。今の私だったら到底、母のように完璧に仕事をこなすことはできないだろう。しかし、いつかこの老舗旅館をつげるような、十六代目女将に誇りを持ち働けるような立派な女性になりたい、これがこれから大人へ一歩近づく私の夢だ。母のような内面からきらきら輝く人になり、仕事を楽しくこなす大人になりたい、そう強く思う。
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