No.200(2008年3月号)

どうゆう みやぎ

宮城県中小企業家同友会
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例会報告@ 栗原登米地区11月例会

「地域資源の付加価値を高める地域づくり」

沖縄県東村役場 振興事業推進室室長 山城 定雄氏

 本日は私たちが観光とは無縁であったへき地の小さな村が、 村の存亡の危機を乗り越えながらここまでやってきた取り組みについてお話ししたいと思います。
 私たちの村はやんばる (沖縄本島北部) と呼ばれる森の一角にあり、 人口は2千名足らずという、 沖縄本島では一番小さな村です。 県内では 「花と水とパインアップルの村」 として知られています。 村にある沖縄最大の福地ダムからは、 沖縄本島のおよそ半分の飲料水を供給する重要な水源地域です。 また、 国内の35%のパインアップルを生産しています。

90年代の村づくり

 50年程前までの我が村の産業は林業のみで、 沖縄本島で最も貧しい村でした。 その貧しさから何とか抜け出そうと、 およそ1千haの山を開き、 パインアップルという命の作物を得て、 林業の村から農業の村へと変わりました。
 はじめに、 本村の村づくりのベースとなっている 「村民の森つつじ園」 のお話をします。 私も当時の村長に説得されて村に戻り、 手作りの公園作りに参加しました。 この公園作りは住民参加、 行政と民間との協働による地域づくりであります。 村内に自生していたケラマツツジが、 昭和30年代後半から40年代にかけて、 根こそぎ盗採されてしまい、 このツツジを保護しながら村づくりに生かそうと公園作りがスタートし、 昭和52年から6年かけて全村民のボランティアにより5万本のツツジを植え、 昭和58年に公園の完成と同時に 「つつじ祭りを立ち上げ、 今では沖縄の春を彩るイベントとなっています。 このイベントを通し、 パインアップル畑の空いた土地に、 ツツジの苗木を栽培するという産業が起き、 数千万の売上があがりました。 村全体では1億円の経済効果があり、 一般財源にも1千万余が入る仕組みになっています。
 しかし、 1990年にはパインアップルが完全輸入自由化になり、 さらに92年頃には、 バブルが崩壊しました。 我が村にとっては基幹作物の自由化、 バブルの崩壊というダブルパンチを受けて、 農業のみならず農村のあり方が問われていました。
 そこで、 94年に足元の自然を生かした村づくりを提唱し、 沖縄の市町村で初めてカヌーを買いました。 農家の皆さんからは、 「自由化で農家が苦しんでいるときにカヌーなんか買ってどうする気だ。」 とおしかりを受けましたが、 マスコミには 「ユニークな試み、 豊かな自然を地域の活性化に生かそう。」 とバックアップをして頂きました。 現在ではこのカヌーを使ったエコツアーや修学旅行で億単位のビジネスが発生しています。

21世紀ビジョンの策定

 1996年には、 「農業一辺倒の村づくりを見直し、 これからの子どもの時代に対応し、 都市部の人たちの体験学習を取り入れ、 また交流を通して地域の活性化を図ろう」 と村作りの21世紀ビジョン構想を打ち出しました。
  「自然との共生」 「都市との交流」 というキーワードで村づくりを提案し、 「自然」 こそ 「資源」 であり、 足元の地域資源の付加価値を高め、 地域を起していこうと呼びかけ、 自分たちの集落には何があるのか、 何が優れているのかという 「地域の宝の掘り起こし」 の取り組みをスタートさせました。 それが後のエコツーリズム等に発展していきました。
 海の森とも言われる 「ヒルギ林」 は昭和47年、 沖縄の祖国復帰と同時に国の天然記念物に指定されましたが、 この天然記念物によって地域が栄えるような村作りをしようとプロジェクトをスタートさせました。 「住んでいる人にとっては当たり前の物でも、 訪れる人にとっては感動を呼び起こすものだ。」 という観点に立ち、 この公園に3億7千万円をかけて、 駐車場やカヌーを下ろす展望台等、 自然観察のための整備 (ハード) を行いました。 今では毎年2億円程のビジネスが生まれています。
 私たちは敢えてソフト作りに徹底しました。 ハードの施設は発注すれば業者が施工してくれますが、 ソフトは行政も住民も一緒に汗をかかないとできません。 マングローブ林を紹介するこの冊子の費用は5百万円程かかりました。 こうしてハードとソフトの仕組みは出来ましたが、 今度は案内するガイドが足りない。 このため、 平成12年よりインタープリター (自然のガイド) やグリーンツーリズムのインストラクターの養成講座を開講し、 人材の育成を行いました。
 さらに、 これ動かすための受け皿となる組織も必要です。 平成11年には、 国内で2番目となるエコツーリズム協会やブルーツーリズム協会、 グリーンツーリズム研究会等を立ち上げ、 地域主体によるツーリズムの取り組みや、 様々な手法で効果的な情報発信を全国に行った結果、 これまで観光客が殆ど訪れることが無かったマングローブの公園にも、 今では観光バスが停まらない日はありません。 平成10年に初めて1校の修学旅行を引き受け、 平成12年には87校、 昨年は314校にもなりました。 また観光客も平成10年には5万4千人でしたが、 昨年は26万人余になりました。
 また、 ここでのエコツアーや体験学習の修学旅行生を中心に一人二百円の 「環境協力金」 を頂いています。 これを観光地の環境保護の資金などに充てています。
 沖縄県の全体の修学旅行ですが、 平成10年が1,100校22万人余りでしたが、 昨年は2,493校43万人と増加しています。 これまでの 「平和学習」 プラス、 体験型の観光や修学旅行にいち早く転換したため殆ど落ち込むことなく伸びています。
 さて、 32億円という、 村始まって以来のエコパークのプロジェクトですが、 どんどん村の人口が減っている中、 次の世代がこの村に住みたいと思うためには、 まず働く場所を作る。 そのためにはこの公園が絶対必要と考え、 それを活かすためのエコツーリズムやグリーンツーリズムというソフトをしっかり作ってきました。
 平成14年の開業以前は宿泊施設もなく、 観光地であっても隣の市にお客様が泊まる、 それを何とか食い止めるために、 「泊まる・遊ぶ・学ぶ」 というキャッチフレーズで、 コテージやオートキャンプ場などの整備、 そしてプロジェクトアドベンチャーの設置をしました。 プロジェクトアドベンチャーはアメリカで開発された、 不登校やいじめにあった子どもたちを立ち直らせるために開発されたシステムです。
 やんばるの森トレッキングでは、 器も容器も全て自然に戻る、 環境に優しい素材を使ったエコ弁当を出しています。 割り箸はヤンバルの森に無尽蔵にある竹を使っています。 割り箸の9割は中国から来ています。 中国がどんどん木を切りすぎて洪水、 干ばつを起こしています。 子どもたちが三日間の滞在中には、 必ずこのお弁当を食べさせ、 環境教育が出来るという仕組みを作っています。

私なりのこだわり

 公園の中の自動販売機は全て緑色です。 当初メーカーでは 「お客さんの要望で色を変えることは出来ません」 と門前払い。 オープン半年前になっても決着がつかず、 「条件をのまなければうちの公園では一切自動販売機は置かせない」 という最終結論を出しました。 社長からは、 「たかが自販機にそんなにこだわるな」 と言われましたが、 私は 「いい加減にするのならば計画から一切退きます」 と譲らず、 やっと1ヶ月前にメーカーの了承を貰いました。 また、 園中の連絡用のバイクは全て電動バイクです。 これはエコに対する理念ということで設置させて貰いました。
 昨年はお客さんが7万人、 宿泊も1万6千人来て頂きました。 具体的な経済効果ですが、 地域の農家や漁師、 物品購入に払うお金が1,400万、 従業員11名の人件費が3,700万。 そしてパートの3,600名 (延べ年間) には2,500万お支払いし、 7,600万の経済効果を生み出しております。
 この会社の株ですが、 53%は村が持っています。 残りの26%は住民の方、 21%は都市部の村の出身者に持って頂いています。 村が作った会社の株を持つということでふるさととのつながりを持ち続けることができます。 都会に出て行った人とのネットワークもでき、 村の営業マンになってもらえるという効果も生み出しています。
 また、 これからはグリーンツーリズムの動きが出てくるのではないか、 と思います。 1990年から早稲田大学の学生が、 三度の飯の保証の代わりに、 昼間はパインアップルの収穫を手伝いながら、 夜は地域の伝統行事に参加するという取り組みが現在も続いています。 近年では修学旅行も完全にこの方向へシフト化しています。

新たな挑戦と取り組み

 起業家もいっぱい誕生しました。 体験民宿を始める方、 色々な加工品を売り出しているハーブ園なども出来ました。 また、 沖縄で初めてイチゴ栽培の技術を確立した農園もあり、 イチゴのほか大根、 トマト等の収穫体験を行っています。 植え付けは農家がしていますが、 収穫はお客さんがお金を払ってやっているのです。 大根一本百円です。 百円を収穫するのに百円体験料をとりますので、 二百円農家にはいるわけです。 イノシシをうまく観光資源として活かしている農園もあります。 「ここのイノシシはミカンをむいて食べる」 と言うと誰しもが嘘でしょうといいますが、 しっかりむいて食べるのです。 そのイノシシ見たさにミカン狩りに訪れるお客様がたくさん来ています。 害獣もうまく使って地域資源として、 益獣に仕立てているという取り組みの一つの例なのかなと思っています。
 先だって04年の沖縄県の市町村民所得が発表されましたが、 本村は前年の36位から一気に20位に躍進し、 初めて沖縄県の平均を上回りました。 これも地域住民がコツコツと 「ゴミを落とさずにお金を落とさせる」 いろんな取り組みの総合的な結果として出た成果ではないかと思います。
 そして私たちは、 平成15年から、 学校の現場を田舎に持ってくる 「セカンドスクール」 に一番力を入れています。 農業体験や自然体験、 漁業体験、 そして農家に泊まるという仕組みも作っています。 漁業体験も釣るだけではなく、 包丁を持たせて魚をさばかせています。 命あるものを食べながら人間は生きていることを教えます。 包丁で指先をけがした子がいればテープを巻いてやりながら、 「命」 の教育をします。 刃物でちょっと傷つけたら痛いだろう、 血が出るだろう。 この痛さがわかるのであれば、 この刃物で人を傷つけることはできないだろう。 刃物を持たずして、 刃物の危険性は教えられません。 3・4日間のプログラムを作り、 平成10年は240名でスタートしましたが、 これまで5千名、 一つの事故もなく、 実施してきました。
 今年の8月に総務省、 文科省、 農水省の三省による 「子供農産漁村交流プロジェクト」 が新聞に発表されました。 一週間程度、 都会の子供たちを田舎で預かるというものです。 2008年から始まり、 窓口は農林水産省となっています。 このビジネスチャンスをこの宮城県でもどう取り組んでいくか。 今の子どもたちが平気で親や兄弟を殺すような現実の中で、 文科省も体験教育に重点を置くという流れになってきているようです。

「るるぶ」 から 「新るるぶ」 へ

 早稲田大学で過疎問題について研究をしている宮口先生は、 「時代にふさわしく都心にはない価値を田舎から作り出す時期だ」 と言っています。 これまでの観光は、 「見る・食べる・遊ぶ」 と言う観光でした。 しかしこれからの観光は、 「体験する・感動する・学ぶ」 要素を取り入れた体験型の観光が主流になり、 向こう10年はこの傾向が続くと思われます。 ですから、 「体験」 や 「癒し」 のニーズを団塊の世代も含めたマーケットを捉えることが今後のビジネスチャンスになると思っています。
 一個5,500円のパイナップルが売れています。 普段、 一個5百から千円のパイナップルがただでは5,500円にはなりません。 職人が手間暇かけて作った結果、 富裕層の方々をターゲットにした農産物に付加価値を高める取り組みも行っている農家もあります。
 昭和49年に県下一のダムが完成しました。 しかし国のダムなので法律規制があり、 ダムが出来ても地元には効果は生まれない。 しかしこのダムを生かさない手はないと言うことで、 法律の改正もあってダム湖の活用が容易になったので 「音が出ず波を立てないハイブリッドな船」 を建造し運行させました。 音を立てずに渡り鳥の観察が出来る。 また、 波を立てないと言うことは、 土砂の崩壊も防げます。 国のダムであっても自分たちにお金が落ちる仕組みを考え、 月間1千名ほどを乗せています。 (乗車料は一人1千円)
 女子プロゴルフの宮里藍ちゃんにも 「人の資源、 広告塔」 として頑張ってもらっています。 切手を作る計画を立て、 隠密に著作権等の相談をして、 全国から1億円を集めようと3万8千シートを作り、 1億円余を全国で販売することができました。 さらに、 村にも1千万ほど寄付することができ、 また、 藍ちゃんの村としても知名度もアップしました。

新しい挑戦と取り組み

 よく言われることですが、 地域興しには若者・よそ者・馬鹿者の 3 人がいないと村づくり、 地域興しはできないのかなと思います。 是非ご当地でも3人の馬鹿者を作り立てて、 東北を活性化させる地域にしていただきたいなと思っています。 最後にメッセージとして、 私たちの教訓を申しますと、 やはり、 身の丈のあった地域づくり・経営が出来なければいけないと思います。 私たちは自然やツツジ、 やんばるという地域にこだわりを持ってやってきました。 ご当地栗原・登米地区にもこだわった取り組みがあるかと思います。 足元の地域資源を掘り起こし、 付加価値を高める。 石ころをダイヤモンドに変える取り組みが大切だと思います。 「人材の育成」 も重要です。 キーパーソンをどうやって育てていくかが大きな課題です。 住民自ら築き上げたソフトは、 次の世代に引き継いでいくことも可能だと思います。 「泡盛」 と 「地域おこし」 はコツコツと手間暇かけて熟成させよと言われます。 手間暇かけた地域こそが成功しているのかなと思います。 我々は30年かかりました。 そして地域づくりに何よりも大切なのは故郷を愛する 「情熱」 です。 観光地づくりは、 まさしく地域づくりであり、 人づくりだと思っています。 「夢・戦略・信念・情熱」 これがキーワードだと思います。 これからも我々はチャレンジャーという気持ちです。 守りに入るには後10年は早いという気概で頑張りたいと思います。
 最後に、 以前、 山形の子どもたちをお預かりしました。 ところがこの時の沖縄地方は、 4日間とも暴風雨が続きました。 一生に一度しか来れない子もいるのに、 天気だけはどうしようもない。 しかし、 その時の6年生が次のような作文を寄せてくれました。 この作文はまさしくこの栗原、 登米地区にも参考になることがあるかと思いますので、 紹介させて頂きます。

「僕の心は青空だ」

沖縄は青い空だろうなあ。 沖縄は青い海だろうなあ。 沖縄の畑は太陽いっぱいだろうな。
沖縄の魚はカラフルな色だろうなあ。 わくわくする。
沖縄は灰色の空だ。 沖縄は灰色の海だ。 沖縄は毎日雨だ。
でも、 沖縄の友達の顔は輝いていた。 沖縄の友達はとても元気いっぱいだ。
沖縄は、 雨だったけど、 ぼくの心は青空だ。
だってたくさんの友達と友情をむすび、 たくさんの親切にふれたから。

 私たちはいかにホスピタリティが大切かを教えています。 観光を超えた感動産業を作るために、 また足元の地域資源に付加価値を高める。 ゴミは持ち帰ってもらう。 しかし、 財布の中身は落として頂きたい。 それが地域の活性化に繋がることを信じ、 また努力を続けていきたいと思います。 ご静聴ありがとうございました。

今月の内容

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