2007 新春講演会

「小さいからこそできる人づくり・ 会社づくり・まちづくり」
(前編)
〜高齢化を吹っとばす、おばあちゃんたちの葉っぱビジネス〜
 

(株)いろどり 代表取締役副社長 横石 知二氏

産業はすべてにつながる

  上勝町では一人ひとりを事業家にする取り組みをしてきたため、 町には寝たきりの方が一人もいません。 寝ている暇もないくらい忙しいというわけではありませんが、 上勝町は老人ホームを閉鎖して、 あとは民間にお願いすることにしました。 高齢者が増えてくると、 一人あたりの年間の医療費がどんどんかかるようになります。 上勝のような田舎はだいたい40万〜50万円はかかります。 徳島市内がだいたい20万円ですから、 田舎と都市部を比較すると20万近く違うのです。 ところが、 上勝は都市部と同じ26万円くらいです。
  すなわち、 「働ける環境をつくる」 ということが、 本当の 「福祉」 なのです。 「保護」 と 「福祉」 は違います。 保護をすれば人間はダメになります。 本当の福祉は必要な人に与えられるものであって、 そういう人が1割、 2割と増えていくのは大変なことです。 でも、 暇だから逝く、 することがないから逝くというような社会をつくったら絶対にいけない。 これが私の中の大きな柱です。 「産業福祉」 という言葉を使います。 産業を振興するということ、 中小企業が地域の中でどんどん活性化してみんなが働ける環境をつくることが、 その地域の教育や福祉や環境というものすべてに絡んでくるのです。 単に 「産業で儲けろ」 ということではありません。
 
自分のためがみんなのために

  ゴミは34種類に分別して、 「2020年までに町のゴミをゼロにする」 ということもやっております。 現在の上勝町のリサイクル率は80%、 あとの20%でゼロになります。 町にはゴミ収集車が1台もありません。 ゴミを燃やす施設もありません。 すべてのゴミを住民が1ヶ所に集めて34種類に分別します。
  これに取り組んでいる理由はいくつかあります。 環境問題ももちろん大きいですが、 町民が一生懸命働いて納めた税金を、 何にもならないものにつぎ込まないということです。 税金は産業や教育に使うのが一番いいと私は思っています。 この取り組みで町のゴミが3分の1まで減りました。 土日に自分の好きな時間にゴミを出せることはとても便利ですし、 子どもの教育にも最適です。 「こういうふうにして分けるんだよ。 こういうことは無駄だよ」 と教えていきます。 そうすると、 空き缶などを捨てなくなります。 国道10号線を走っても、 上勝町に入ると空き缶一つ捨てられていません。
  なぜこれができるかというと、 きれいな町をつくることが自分たちの仕事に大きなプラスになるからです。 町がきれいになればなるほど葉っぱが売れるのです。 ですから、 行政にやらされているのではなく、 みんなが自分のことだと思ってやっています。 同じことをするのでも、 「自分のためにする」 と思うか 「人にやらされている」 と思うかで全然違うと思います。

“出番”があることの大切さ

  上勝には温泉がありますが、 年間1200万円かかっていた重油から間伐材を利用するようになりました。 CO2の削減にもなりますし、 地域の資源を循環することができます。 間伐材を持ってきた人には地域通貨券を出して、 町内で買い物ができるようにしています。  
  これまでお金がかかっていた流木も、 買い上げすることによってタダで済むわけです。 町内で出たものはできるだけ高く買い上げると、 地域通貨がどんどんまわっていきます。
  私が何よりも嬉しいのは、 若い人がどんどん上勝へ帰って来ていることです。 Iターンも進んでいます。 他の地域から若い方、 特に20代の女性で 「上勝町に住みたい」 という方が増えてきました。 ゴミの部門を担当しているのはデンマーク帰りの23歳の女性の方ですし、 私の会社もすべてIターンの方々です。 自分の出番がそこにある。 東京や大阪ではないけれど、 上勝に行けばあると思って来ると一生懸命やります。 今、 上勝は住宅建設ラッシュです。 山の中に新築の家がどんどん建っています。 町も町営住宅を次々に建てています。 「自分の町に帰ってきたい」 「あの町で仕事がしたい」 となってきました。

以前の上勝町は?

 26年前、 私は当時の町長にスカウトされて上勝町に来ました。 「何で他所もんを入れるんだ!」 「地元のもんなら後継者になっていいじゃないか!」 と地元も議会もみんな反対したそうです。 しかし町長は、 「絶対に他所もんでなかったらあかん。 地元のもんだったらできん」 と提案して、 わたしが来ることになりました。
  でも、 26年前に来たときは本当に驚きました。 とにかく朝から町の男衆はお酒を飲んでいて盛り場状態。 女の人は集まったら、 嫁の悪口や近所の悪口を朝から晩まで 「何でそこまで言うのか?」 というぐらい言っている。 役場や農協のような組織に来たら何と言うかというと 「何ぞええ補助金くれ。 わしらに補助金ないんか?」 女の人は、 「私はたくわん食べても子どもを東京や大阪のええ大学にやる。 ええ会社に就職させる。 こんなところに子どもは置いておきとうない」 中学校の子どもに 「あんた勉強しないとこの町におるようになるよ!」 と言っている。 「何て情け無いんだろう」 と思い、 どうしてこんな思いを持っているのかを調べてみたらすぐに分かりました。

悔しさをバネに

  なぜなら地域の産業が本当に弱かったのです。 農業も、 町で運営する電子部品や縫製の下請け業、 建築業、 内職業は儲からない。 「どのようして生活しているのか?」 と思うくらい経済基盤が弱かった。 都会への憧れが強く、 「この町に住むのはダメだ」 とみんなが言っていました。 「これでは絶対にいけない」 と思いました。
  まず町民の方々に 「酒を飲んだり愚痴や人の悪口を言ったりするのはやめましょう。 時間を守りましょう。 私が何か産業を考えるので、 みんなでやってみませんか?」 と話したら、 ものすごく怒られました。 机をドカンと叩きながら真っ赤な顔して 「誰に向かってモノを言っているんだ!」 「他所もんの分際でわしらに説教をするんか!?お前何ができるんだ!わしらが金を出しているだけでもありがたいと思え!」 と怒鳴られてしまいました。
  そのときに初めて 「田舎の人のプライドの高さ」 に気づきました。 「へぇ〜。 こんなにプライドが高いんだ。 これは残るか帰るか二つに一つだな」 と思いました。 家族には 「早く戻って来て」 と言われていましたが、 「こんなに罵倒されたままなのは嫌だ!」 と思いました。 「明日から来るな!今から机を放り出すぞ!」 という最後の一言を今でも忘れないです。 何とも言えない惨めさを味わいました。 大勢の前でそのようなことを言われたことが本当に悔しかった。 何とかしなければならないと思いました。
  「行商」 というものを知り、 「田舎で行商ができるならウチでもできるか」 と行商をやることにしました。 毎日早朝4時に起きて、 あちこちの店に品物を売り始めました。
  農協で勤めていたときは16年間連続で毎年売り上げを伸ばし続けました。 それから会社を経営して7年間もずっと黒字、 商売をして23年間1度たりとも落としたことはありません。 23年間の自分のやり方が時代の変化に対応してきたと思います。
  おかげで今は商売がよく見えます、 「どうやったら伸びるのか?どうやったら人がうまく動いてくれるのか?」 が本当によく見えるようになりました。 「本当によかったな」 と思っています。
 
思いがけない発見から

  今ではすっかり有名になったこの葉っぱの商売をなぜ考えたのか。 「なぜ朝から晩まで人の悪口を言うんだろう?朝からやらなければならないことがあったらいいんじゃないだろうか?何かを自分の中に持てたらいいんじゃないかな?」 と思ったのです。
  そして大阪のお寿司屋さんで食事をしていたときに、 きれいな女の子3人に男の子3人が寄りあって、 料理に添えられていた紅葉の葉っぱの話をしていました。 ハンカチに葉っぱを包んでいるのを見たときに 「へぇ〜!」 と思いました。 仙台は東京とも北海道とも違います。 「環境が違うと山にある葉っぱ1枚でもこんなに大切なんだな!環境の違いとは実は凄いことなんだな!」 と実感しました。 「これは絶対にうまくいく!」 とその場で思いました。
  早速帰ってきて話をしたら 「そんなのは嫌だ。 私にだってプライドがある」 「横石さん真面目に聞きよ!あんたは葉っぱを金に変えるって言うけどな!狸か狐のお伽噺じゃあるまいし仕事はもっと真面目にし!人を馬鹿にしたらあかん!」 と言ったのです。 大笑いされたと思ったら、 真剣に怒り出してびっくりしました。 「そんな落ちているモノを拾って商売しとうない」 というところから今のような商売になった。 これが上勝の一番変わったところなのです。 自分のやっていることに楽しさや価値を見いだせないと 「貧しい」 「マイナス」 に見えるのです。 それが大きく変わりました。
 
“現場”にヒントあり

  4人の方を口説いてスタートしましたが全く売れない。 「もうやめよう」 とあきらめていたところに料理人が来て 「こんなもん、 わしは使わん」 と言ったのです。 現場を知らなかったことに気づきました。 まずは現場を知ること、 現場に必ずヒントがあるということです。 「現場に行ってみなければならない」 と思いました。 有名料亭に 「こんばんは」 と行ってみました。 そうしたら 「裏木戸にまわってください」 と言われ、 裏木戸にまわったら 「ここは人に見せるところではないのでお帰りください」 と断られてしまいました。 「やっぱりダメか」 と思ったときに、 「横石さん、 客で行ってみたら」 とある人に言われ、 「そうか。 客で行ってみたらいいのか」 と料亭に問い合わせたら 「1万円・2万円・3万円コースがございますがいかがいたしましょうか?」 と尋ねられました。 当時の給料は月7万8000円 (笑)。 「これは高いな!」 と思いましたが 「一度は行ってみないと」 と思って2万円コースを頼んで3万円をポケットに入れて行ってみました。
  「こんばんは、 予約していた横石です」 と言ったら、 何と三ツ指をついて 「奥へどうぞ」 と案内されました。 「客で行くとこんなに丁寧に応対してくれるんだ!」 と思いました。 そして 「どうやってこの葉っぱをお使いになるんですか?」 と聞くと、 「庭から摘んで来て、 古 (いにしえ) のいわれで、 お客様に季節を添えて出させていただくのです」 などいろいろ教えてくれました。 「ありがたいな!これはよかった!」 と思いながら、 帰ってきて上司に話したら 「料亭の費用なんか経費で落とせるわけがないだろう!」 と言われました。
  困り果てましたが、 「とにかくいけるとこまでいってみなければならない!」 と2回目から袋にいっぱい葉っぱを入れて持ち込んだり、 器の大きさを測ったりといろんな形で勉強していたら、 2年経ったときにご主人が根負けしてやっと調理場を見せてくれました。
  「やった!」 と思いました。 「この小突いたり蹴ったりする厳しい修行が10年も持つわけがない。 今後この彩の葉っぱを絶対に買うようになる!これを必要とする人がどんどん増えてくるはずだ!」 と調理場の現場を見て思いました。

夢を描いてがむしゃらに

  今度はパンフレットをつくって、 北海道から九州までぐるぐると店をまわって 「商品としてこういうものを買っていただけませんか?」 と営業をしていきました。 「今年は○○○に行こう!」 と決めたら、 ローラー作戦で駆けまわりました。 裏木戸からはなかなか入れませんから、 「ここぞ!」 というときには自腹を切り、 泊まりがけで長く滞在しながら売り込んでいきました。 手がちぎれるかと思うほどパンフレットは重かったんですが、 夜は寝る間を惜しんで店をまわり、 店でなかなか話がつかないときは、 市場をまわりながら拡販をかけていきました。 自慢できることではありませんが、 全部これにつぎ込んでしまって、 16年間は1円のお金も家に入れることができなかったのが現実です。
  さらに、 料亭通いがたたって 「痛風」 を患って左半身が動かなくなり、 這いながら車椅子でまわりましたが、 痛みに耐えかねてついには動けなくなってしまいました。 その次は 「心筋梗塞」 で倒れ、 胸の中はステンドだらけになって6本も入りました。 でもどうしてもこの事業を成功させたかったのです。 「この事業ができたら何か変わるのではないか!?」 という夢を感じていました。 有名な料理人と知り合うことができて、 「野草はないか?」 と聞かれました。 このことを町の人たちに話したら 「牛や馬じゃあるまいしそんな野草、 横石さん誰が食べるの?」 と大笑いになりました。

世界中探したってこんな楽しい仕事はないでよ!

  そこで、 これは私が言うよりも日本で一番いいお店のトップの料理人に 「あんたのところの商品はいい!」 と言ってもらうのが一番早いと思いました。 そこで、 町の人たちを名だたる各地の料亭に連れて行きました。
  集まった人たちの格好にびっくりしました。 何せモンペやジャージで来た人がいましたから (笑)。 ゾロゾロ歩くとみんなにジロジロ見られました。 有名な女将さんに 「このようなお客様は今までに一度もお見えになったことがございません」 と言われました (笑)。
  しかしこれが大きな自信になりました。 たくさんお金を使いましたが、 一流の人に 「あんたのところの商品はいい!」 と言ってもらったことに大きな値打ちがあったと思います。
  町にも料理人さんが来てくれるようになり、 関心も高まりました。 みなさんの表情も変わりました。 とても素敵な顔をして仕事をするようになりました。 皆さんの社員さんはいかがですか?上勝のみなさんは 「世界中探したってこんな楽しい仕事はないでよ!」 と言ってくれます。
  80代で月に70〜80万も稼ぐ方もいます。 12月は200万が二人、 100万が10数人います。 「小さい町だから、 田舎だから、 同じ土俵で商売をしないから」 できるのです。 これをぜひみなさんに分かっていただきたい。 その視点に立てるかがとても大きい。 「綺麗・軽い・根気がいる」 ということで高齢者に最適です。 「死ぬまでやめられない!」 と未だに苗木を植え続けている方もいらっしゃいます。 「何歳までやる気なんだろう?」 と思います (笑)。
(後編は次号に掲載いたします。 文責は同友会事務局にあります。




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